Our Leader

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僕ほど、山下彩香という人を揶揄する者もいないと思う。

 

日本発、アジアから事業を興した女性として各処で敬意を払われたとしても、ビジョナリーらしい穴ぼこだらけの人物で、近侍する僕としては雑言の止む間もない。

 

山下さんは何故かキャリアについての取材が多いが、人事・HRを仕事とする僕に言わせれば、大学院をでて勢いで起業して蛇行を続けている人に、聞いて参考となるキャリアがあるとは思えない。キャリアについて話す方も、聞く方もどうかしている。詐欺じみてる。学生諸氏には、真に受けて人生の指針としたら身を誤るので気を付けろと言いたい。

 

そんな雑言を吐き続けながら、もう4年間、山下さんを代表として戴いたEDAYAの一員をしている。

 

僕は独立不羈かつ表裏比興を旨とするので、誰かの下に長く留まることが出来難い。が、4年。リーダーと目した人、仕えた人の中では最長かもしれない。

 

山下さんの凄味はここにあると思う。

 

カネもない。場所もない。仕事も右往左往。ゴールは彼方。苦労と困惑は山積。そんなプロジェクトに、多くのメンバーを巻き込み、それぞれのビジョンとキャリアを育てることを、国境も言葉も超えて、山下さんは成している。だからこそ僕も4年、サーバント役を務め続け、学び続け、なおも飽きることはない。

 

キャリアは一人で作るものではない。関わる人たちと一緒に、その轍を刻むものであろう。山下彩香という人に会うことがあれば、メンバーのビジョンとキャリアを育てる契機をまき散らしながら、自身のビジョンをキャリアも育てるリーダーシップの一端を見てほしいと思う。それに触れてもらうことが、若い人への一番の教育だと思う。

 

2016年は、日本側のEDAYAとしては停滞の年だった。僕も大したパフォーマンスを行えなかった。でも停滞は停滞でよいと思う。走るなかで縺れたものを鎮静化し、次の手を打つことができればいい。

 

気が早いが2017年のEDAYAは、より多くの仲間のビジョンとキャリアが育つ場としたいと、徒然に。

 

あぁボブ・ディラン、、。アメリカ文学はまたもノーベル賞を逃したのか?

ボブ・ディランノーベル文学賞をとったけど、それに驚きの声があがっていることに、僕は驚いている。

 

ノーベル文学賞の有力候補として以前から挙がり続け、今年は、今年はと噂をされていたボブ・ディランが受賞したところで、リストの上のほうの名前が順当に選ばれた感じで、むしろ普通すぎて面白味がない。

 

・・と斜にかまえてしまうのは、僕は大学でノーベル文学賞の研究をしかけていたし、文学を離れた後も毎年10月第3週が近づくと予想をたて、受賞作家が発表されれば書店に走る生活を送っているから。

 

詩人ボブ・ディランノーベル文学賞の有力候補だったということを、多くの人が知らなかったことは当然で、健全で、ミュージシャンボブ・ディランのライトファンを中心に驚きと歓喜があがるのも当然で、健全。 

ボブ・ディラン自伝

ボブ・ディラン自伝

 

 僕が驚いた、というか嘆息したのは、アメリカ文学の位置づけについて。

 

アメリカ文学は、もう何年もノーベル文学賞を受けていない。今回、賞がアメリカ(というか、USA)に来たものの、ザ・アメリカ文学という作家ではなくボブ・ディランという変化球に渡ってしまったことで、ますますノーベル賞が遠いという印象を受けた。

 

あぁボブ・ディランかよ、、。アメリカ文学はまたもノーベル賞を逃したのか?みたいな。

 

ノーベル文学賞はある程度、地域巡回をしている。ヨーロッパ中央(仏・独・英・伊・西・北欧など)、ヨーロッパ周辺、南米、北米、アフリカ、アジアみたいな地域分けで、それぞれ3:2:1.5:1:1:1みたいな受賞比率。2010年代だと、リョサ(南米)→トランストロンメル(ヨーロッパ中央)→莫言(アジア)→マンロー(北米)→モディアノ(ヨーロッパ中央)→アレクシェービッチ(ヨーロッパ周辺)と来ていた。

 

そろそろアフリカかな、あとは中東とか諸島部とかの変わり種が来るかなとか考えていた。シリアの詩人アドニスとかどうよとか。

 

同時に、長くアメリカ文学が受賞していないので、アメリカの大物作家に渡るものいいなぁと思っていた。有力候補の常連、ドン・デリーロリチャード・パワーズ、ジョイス・キャロル・オーツ、フィリップ・ロス・・。

 

93年のトニ・モリスン以来の無冠を何とかしてほしい。胃もたれするような大著を繰り出すザ・アメリカ文学ガラパゴス化させようとしないでほしい、という文学ファンの願い。

 

で、、、結局ボブ・ディラン。嘆息。

 

アメリカの作家協会か何かと、ノーベル委員会(スウェーデンアカデミー)が仲が悪いとか、アメリカ側がちゃんと自国の作家を推薦しないとか、事情はあるみたいだけど、、文学の未来のためにはアメリカ文学作家を評価しましょうよ、、と思う。

 

今年、『ターミナルから荒地へ』という優れたアメリカ文学評論集が出た。副題が『「アメリカ」なき時代のアメリカ文学』。世界のスーパーパワーとしてのアメリカという虚象が崩れている中で、アメリカ性をテーマとした大著(白鯨みたいな)をなすことがステータス化してきたアメリカ文学はどこへ向かうか、という実に面白い本だった。

tetsuji178.hatenablog.com

 

アメリカ文学が今まさに変容の時期なのだとしたら、ノーベル賞アメリカ文学に渡るのはもう少し先になるのか、どうか。。

 

最後に。1998年、大学1年生のときに周囲に「村上春樹ノーベル賞をとるよ!」と力説してたらすっっっごいバカにされた。マジでバカにされた。悔しかったので忘れないのだ。。

 

 

 

 

メコンブルーとシュポール/シュルファス

昔つきあった女の子は、テキスタイルを学ぶ美大生だった。

 

つきあいはじめの頃、東京都現代美術館でひらかれた『シュポール/シュルファス展』(正式名『ポンピドゥー・コレクションによるシュポール/シュルファスの時代 : ニース〜パリ 絵画の革命 1966〜1979』)を見に行った。60~70年代芸術運動の回顧展。

 

その中に、大きなテキスタイル数枚を天井から吊るした作品があった。布地に、間隔をあけながら多色の横縞が走っている。作品名は「Penelope(ペーネロペー)」とあった。

 

僕はこの作品に圧倒された。

 

現代文学を学ぶ文学徒だった僕は、作品がなぜ「ペーネロペー」なのかすぐにわかった。ペーネロペーは『オデュッセイア』 に出てくる、オデュッセウスの妻。オデュッセウスが彷徨の旅を続ける間、幾日夜の時を過ごし、数多の男たちの求婚を退け、織物を織っては解いて夫を待ち続けたペーネロペーの時間そのものが、作品になっていた。

 

天井から吊るされたテキスタイルは、時のしじまに見るものを押し流していきそうで、無言で立ちすくむしかなかった。

 

オデュッセイア』を読んだことのない彼女は、作り手の視点で「これ何の糸かな?どうやって染めたのかな?」と話していた。僕はペーネロペーの時間に流されてしまわないように彼女の手を握り、「・・テキスタイルって凄いね。」と言った。

 

 

テキスタイルは凄い。布一枚が物語をもつ。そんなテキスタイルを造形として、身にまとうのがファッションである。ゆえにファッションは面白い。

 

メコンブルーの話。

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メコンブルーのシルクストールほど、雄弁なテキスタイルの凄さを楽しめる商品はない。(いや実際には他にもあるけど、メコンブルーはトップブランドに比肩している。)

 

その雄弁さは、読み書きができないカンボジア農村部の女性たちが、チャンタさんという方を中心に最高級の美しいシルクストールを織るという背景によるものではない。もちろん、いわゆるエシカルファッション的な背景のストーリーも素晴らしいけど、雄弁なのはテキスタイルそのもの。

 

ブランド名の通り、メコン川の折々を想起させる青、蒼、碧、藍、紫、灰、墨・・。川の周りの木々や陽光、土や空気を感じる色たち。メコンブルーのシルクストールにも、時のしじまが織り込まれ、加えて自然の移ろいが染められている。

 

圧巻なのは、Jazzと名付けられた茜色の一枚で、メコン川の水面に映りたゆたう夕陽の色を織り込んでいて、見るたびにため息をついてしまう。

http://mekongblue.shop-pro.jp/?pid=79408839

 

そんなメコンブルーさんと僕の関わるEDAYAは、1年くらい同じ建物にオフィスを置いていたのだ。(というかメコンブルーさんが入居していた建物にEDAYAも入って、先に出た。)代表の高橋邦之さんも、その他のプロボノの皆さんも、楽しい&心強い仲間たちだと思っている。

 

なんだか高橋さんがバタバタされて、「この冬はメコンブルーのシルクストールを買って、おしゃれに過ごそう」キャンペーンみたいな感じになっているので、すかさず懐かしのオフィスに駆けつけて、僕も1枚買ってきた。

 

水面みたい、と感じる翳をもつ青でありながら、角度を変えると紅が透けるKhmer Flower Ruby。首に巻いて、多彩な色移りを見ながら、これはどんな時の水面なんだろうと思いはせるのが楽しい。テキスタイルって凄いなぁ、、と改めて思う。

http://mekongblue.shop-pro.jp/?pid=90869902

 

と、いうわけで大好きなメコンブルーさん、高橋さんの応援のための宣伝なのですが、販売サイトを見てこれほしいと思った方、商品を見てみたい(見ると凄さはわかる)と思った方など、ECでの決済ではなく直接高橋さんにご連絡ください(で、いいんでしょうか?)。 

 

 この冬は、身近な人がみんなメコンブルーのストールしているようになる気が・・する。

mekongblue.shop-pro.jp

 

 

 

 

丁寧な人、エシカルペイフォワード沼田桜子さん

丁寧について考える。

 

丁寧とは、小さなことでも一つ一つゆるがせにしないことかと思う。表面的な礼儀ではなく、他者や自分についても、物についても、行いについても、自然環境についても、それぞれを敬うように思いやることではないかと思う。

 

それは、エシカルという考え方につながる。

 

選ぶ商品について、人との関わりについて、暮らしについて、小さなことでも一つ一つゆるがせにせず、思いやる。もの・ことが、どこの誰の手から届いたか、それをいかに善く活かせるか、どこの誰の手に受け取られていくのか、時間的・空間的つながりに思いを致す丁寧さは、まさにエシカルといえるんじゃないかな。

 

先日、いくつかのエシカルブランドの新商品を見て、「ああ、丁寧な品だなぁ・・」と感じてから、そんなことを考えていた。日本語が分かる人なら誰もが知る丁寧という言葉について、生まれて初めて丁寧に考えてみた時間だった。

 

では「丁寧な人」というと誰かな・・と考えたとき、浮かんだのはエシカルペイフォワードの女将(?)である沼田桜子さん。

 

 そもそも、エシカルペイフォワードのコンセプトは沼田さんの丁寧さが凝縮されたものといっていい。人や自然や地域にとってやさしい、丁寧なものであるエシカル商品を集めること。さらにそれを、相手を思いやって選び買う、渡すときを考える、贈る、という丁寧な行いを生むギフトという切り口にすること。そんな企画を考え運営している沼田さんの丁寧指数は大したものだと思う。

 

彼女の本業は、「食」にかかわるお仕事である。「食」は言うまでもなく、誰もが日々接し続ける小さな、しかし時間的・空間的には大きなつながりを生むもの・こと。そんな仕事をもつあたりも、「丁寧な人」らしい。

 

何といっても、沼田さんは人への接し方が丁寧だ。僕なぞが垂れ流すつまらぬ雑言も、ちゃんと聞こうとしてくれる。そして、エシカルペイフォワードに関わる他のみんなやブランドの皆さん、お客さんに対しても、小さなことに感謝したり、感銘をうけたり、驚いたり、思いやったりしている。なかなか出来ることじゃない。

 

沼田さんがどうして「丁寧な人」になったのか、丁寧じゃない僕はけっこう不思議だったりするのだが、そんな来歴はいつか聞いてみたいものです。

 

「丁寧な人」の弱点は、おそらく自縄自縛になることではないか。慌ただしさや何やで丁寧ではいられないことが続くと、そのことがストレスになるんじゃないか。丁寧じゃない人には計れない、長所が自分を縛るストレス。

 

下手するとそんなストレスとも丁寧に付き合おうとしかねないので、ユーモアを身にまとって適当にやり過ごせばいいんじゃないかなと、僕は勝手ながら思っている。

 

ちなみに先日、沼田さんは誕生日を迎えた。何か年齢にちなんだプレゼントを贈りたいなと思って考えて考えて・・、僕は「肉味噌」を献上しました。「2930」だからね。(ハラスメントじゃなくてユーモアだから・・)

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「丁寧な人」沼田さんが女将として引っ張るエシカルペイフォワードも、秋冬に向けて商品も入れ替え、お店のレイアウトも変えて、ECも見やすくしてお客さんがより丁寧に商品を選べる工夫を続けています。僕は露店販売担当だけど、これからギフトシーズンも迎えるし、がんばって多くのひとに丁寧さを届けたいものです。 

 

 

全員がマイノリティというダイバーシティ:「EDAYAの魅力のひみつ」について

edaya-arts.blogspot.jp

 

  EDAYAのインターンとしてフィリピンに行っていた石川さんが感じた「EDAYAの魅力のひみつ」。正鵠を射ていて、よく見てきてくれたなぁと嬉しい。(ありがとう!)

 

あえて、,僕たちは(少なくとも僕は)もう一歩先を見たいんだという点。

 

「3.主役は、マジョリティではなくマイノリティ」ということについて。マジョリティ/マイノリティと分け隔てたくはない。マジョリティなんて虚構で、一人ひとり個としてバラバラ。個ですら内面はバラバラでアイデンティティも虚構かもしれない。

全員がマイノリティという、ある種アナーキーな視点がEDAYAにはある。

いろいろな枠を一度崩した上で、一人の私として立つ選択をすることが、EDAYAのメッセージの一つであり、「魅力のひみつ」なんじゃないかと僕は思う。

ダイバーシティというのは、こっちに外国人、こっちにLGBTと、マイノリティを組み合わせたブロックではない。外なる多様性を集めるのではない。今いる人たちは全員バラバラに異なるという、内なる多様性を発露させることがダイバーシティなんじゃないか。

それにより、マジョリティという虚構は崩れる。全員バラバラになったアメーバ状のアナーキー社会で私として立つことは、相応の強さを必要とするだろう。その強さの顕れが「1.媚びない、アート」かもしれない。

人事・HRを本業としながら、EDAYAに関わるのはなぜかと問われることがある。でも、人事にとっても重要なダイバーシティインクルージョン(もしくはインテグリティ)の秘蹟が、EDAYAにはある。

僕にとっての「魅力のひみつ」はそこかな、なんて。

 

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コオロギ戦記2016

【前回までのあらすじ】

時は2015年秋、I氏の暮らす新宿区某所の安アパート(でも築7年)の裏庭にはヘルヘイムの森の如くに草が生い茂り、コオロギたちが心安らかにコミューンを営んでいた。

 

ある日、剪定業者の魔手により無情にも草は跡形もなく刈り取られ、コオロギ達は安住の地を奪われる。故国を失ったコオロギ達はディアスポラと化し、安住の地を求めて隣接するI氏の安アパートへの侵略を開始する。

 

夜、帰宅したI氏は室内に黒い虫影を発見して戦慄するも、すぐに安堵する。Gかと思ったが、コオロギだと知れたためである。古来コオロギをペットとして飼うならいもあり、秋の虫の鳴き声を近くで聞けるのも風雅と感じた。が、誤りであった。

 

コオロギは、意外とうるさい。かなりの大音量で鳴き出す彼(オス)に辟易し、かつ布団脇で跳びはねられるのも気色悪く、I氏はコオロギの室外追放を企図する。そして失敗に終わる。雑誌でコオロギを追い立てるが、奴は左右にジグザグに跳梁して逃げる。やっと風呂場に追い詰めるが、ここから手づかみで捕まえて玄関より追放しようと試みて大いに空振りし、頭にきたI氏はシャワーで水責めをしてコオロギを殺害してしまう。

 

悲劇はここから始まる。

 

その夜、I氏の室内に侵入したコオロギは3匹であった。1匹は水死。1匹は玄関より追放となり生き延びる。そして1匹は、大捕り物の末に洗濯機の下に隠れるという自己防衛に出る。

 

コオロギを洗濯機の下に入れて鳴き声を聞いたことがあるだろうか。洗濯機というステレオを得たコオロギは、すごくうるさい。マジすさまじくうるさい。寝れない。ことここに至り、I氏のコオロギに対する敵意は確実なものとなり、共存、寛容、対話といった路線は失われ、殺戮の幕が開いたのであった。

 

幾たびかの侵略にI氏は翻弄されつつ、殺戮の罪を重ねて、2015年は暮れた。そして2016年・・・。

 

【前哨戦:ミント作戦】

コオロギ対策に余念のないI氏は、まずは裏庭でのコオロギ繁殖を防ぐべく、虫が嫌がる環境作りを試みる。すなわち、ミント栽培である。

 

世にミントテロという言葉があるように、ミントは繁殖が早い。そして虫が嫌がるハーブである。これを栽培すれば、コオロギの寄り付かない環境となるだろう。

 

が、この計画は失敗する。なんと2016年は剪定業者が8月初頭に草を伐採し、I氏が栽培を始めたミントも株のうちに刈られてしまったのである。無念。

 

【侵略1回戦:台風の遭遇戦】

2016年は台風の多い年である。暴風雨はコオロギだって避けたい。必然、室内侵略の動機も高まる。

 

9月20日の夕方、会社より外出していたところで台風による強制退社の指示が出され、I氏は閉め出しをくってしまう。やさぐれて帰宅したI氏を待っていたのは、2016年初のコオロギとの遭遇戦であった。

 

机の下で跳びはねるコオロギ(たぶんメス)に対して、容赦ない毒ガス攻撃を仕掛けて殺戮。その後さらに風呂場でもう1匹に遭遇し、得意の水責めで殺戮。1晩で2つの命を奪うという罪を重ねる。

 

【侵略2回戦:作戦名『かやり香 夕涼み』】

9月25日深夜。GEOにDVDを返すべく部屋を出たI氏の足元に激しくアタックをかます黒い影があり、I氏は驚いてドアに頭を打ちしゃがみこむ。そこで見たものは、虚をついた足元攻撃によってできた隙をつき部屋に侵入していくコオロギの姿であった。

 

慌てて室内に戻ったI氏は玄関先の箒で応戦。無事に水際での侵略防止に成功する。見ると、安アパートの廊下は複数匹のコオロギが跳びはねる百鬼夜行と化していた。。。

 

ここでI氏はかつてより準備していた化学兵器『かやり香 夕涼み』を取り出し、玄関・ガラス戸などの侵入口となる箇所に設置し、もくもくと炊き上げる作戦を開始する。これにより、虫の嫌がる煙、匂いなどを充満させ、いわば部屋に結界を張ろうという策である。

 

神楽坂で仕入れた化学兵器『かやり香 夕涼み』は自然素材の大変いい匂いで、少し炊く分には実に風流。好いものに違いない。しかし部屋の各所で一気に炊くという極端な暴挙に出たせいで、I氏はなんか目がしばしばして頭がくらくらしてきた。。

 

この状況を脱するには、空気の入れ替えという手段が必要なのだが、そうするとコオロギに向けて大きく侵入口を開けることになる。

 

さて、いかにすべきか。優柔不断の夜がふける。

 

・・・・To Be Continued

 

 

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徒然妄念:「世界自殺予防デー」に、2016。

9月10日は「世界自殺予防デー」自死について、徒然に思う妄言など。

 

・人はほっといても死ぬから心配するな。

 

・生きていることが辛いなら、きっと死んでも辛かろう。物体に帰しても楽にはなるまい。どうせ辛いなら生きていてもよい。

 

・寿命が縮んじゃった、というが、いつだって寿命は縮んでいる。

 

・命がけ、というが、何をするにも命がかかっている。

 

自死した者に、「君は損した」と言えるのか、省み続けたい。

 

武田泰淳の『司馬遷』が好き。冒頭に曰く、「司馬遷生き恥さらした男である」。

 

f:id:tetsuji178:20160910012806j:plain※JAMMIN×OVAのコラボT画像をお借りしちゃってます。

 

昨年はこんなことを書いていた。

tetsuji178.hatenablog.com