あぁボブ・ディラン、、。アメリカ文学はまたもノーベル賞を逃したのか?

ボブ・ディランノーベル文学賞をとったけど、それに驚きの声があがっていることに、僕は驚いている。

 

ノーベル文学賞の有力候補として以前から挙がり続け、今年は、今年はと噂をされていたボブ・ディランが受賞したところで、リストの上のほうの名前が順当に選ばれた感じで、むしろ普通すぎて面白味がない。

 

・・と斜にかまえてしまうのは、僕は大学でノーベル文学賞の研究をしかけていたし、文学を離れた後も毎年10月第3週が近づくと予想をたて、受賞作家が発表されれば書店に走る生活を送っているから。

 

詩人ボブ・ディランノーベル文学賞の有力候補だったということを、多くの人が知らなかったことは当然で、健全で、ミュージシャンボブ・ディランのライトファンを中心に驚きと歓喜があがるのも当然で、健全。 

ボブ・ディラン自伝

ボブ・ディラン自伝

 

 僕が驚いた、というか嘆息したのは、アメリカ文学の位置づけについて。

 

アメリカ文学は、もう何年もノーベル文学賞を受けていない。今回、賞がアメリカ(というか、USA)に来たものの、ザ・アメリカ文学という作家ではなくボブ・ディランという変化球に渡ってしまったことで、ますますノーベル賞が遠いという印象を受けた。

 

あぁボブ・ディランかよ、、。アメリカ文学はまたもノーベル賞を逃したのか?みたいな。

 

ノーベル文学賞はある程度、地域巡回をしている。ヨーロッパ中央(仏・独・英・伊・西・北欧など)、ヨーロッパ周辺、南米、北米、アフリカ、アジアみたいな地域分けで、それぞれ3:2:1.5:1:1:1みたいな受賞比率。2010年代だと、リョサ(南米)→トランストロンメル(ヨーロッパ中央)→莫言(アジア)→マンロー(北米)→モディアノ(ヨーロッパ中央)→アレクシェービッチ(ヨーロッパ周辺)と来ていた。

 

そろそろアフリカかな、あとは中東とか諸島部とかの変わり種が来るかなとか考えていた。シリアの詩人アドニスとかどうよとか。

 

同時に、長くアメリカ文学が受賞していないので、アメリカの大物作家に渡るものいいなぁと思っていた。有力候補の常連、ドン・デリーロリチャード・パワーズ、ジョイス・キャロル・オーツ、フィリップ・ロス・・。

 

93年のトニ・モリスン以来の無冠を何とかしてほしい。胃もたれするような大著を繰り出すザ・アメリカ文学ガラパゴス化させようとしないでほしい、という文学ファンの願い。

 

で、、、結局ボブ・ディラン。嘆息。

 

アメリカの作家協会か何かと、ノーベル委員会(スウェーデンアカデミー)が仲が悪いとか、アメリカ側がちゃんと自国の作家を推薦しないとか、事情はあるみたいだけど、、文学の未来のためにはアメリカ文学作家を評価しましょうよ、、と思う。

 

今年、『ターミナルから荒地へ』という優れたアメリカ文学評論集が出た。副題が『「アメリカ」なき時代のアメリカ文学』。世界のスーパーパワーとしてのアメリカという虚象が崩れている中で、アメリカ性をテーマとした大著(白鯨みたいな)をなすことがステータス化してきたアメリカ文学はどこへ向かうか、という実に面白い本だった。

tetsuji178.hatenablog.com

 

アメリカ文学が今まさに変容の時期なのだとしたら、ノーベル賞アメリカ文学に渡るのはもう少し先になるのか、どうか。。

 

最後に。1998年、大学1年生のときに周囲に「村上春樹ノーベル賞をとるよ!」と力説してたらすっっっごいバカにされた。マジでバカにされた。悔しかったので忘れないのだ。。