全員がマイノリティというダイバーシティ:「EDAYAの魅力のひみつ」について

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  EDAYAのインターンとしてフィリピンに行っていた石川さんが感じた「EDAYAの魅力のひみつ」。正鵠を射ていて、よく見てきてくれたなぁと嬉しい。(ありがとう!)

 

あえて、,僕たちは(少なくとも僕は)もう一歩先を見たいんだという点。

 

「3.主役は、マジョリティではなくマイノリティ」ということについて。マジョリティ/マイノリティと分け隔てたくはない。マジョリティなんて虚構で、一人ひとり個としてバラバラ。個ですら内面はバラバラでアイデンティティも虚構かもしれない。

全員がマイノリティという、ある種アナーキーな視点がEDAYAにはある。

いろいろな枠を一度崩した上で、一人の私として立つ選択をすることが、EDAYAのメッセージの一つであり、「魅力のひみつ」なんじゃないかと僕は思う。

ダイバーシティというのは、こっちに外国人、こっちにLGBTと、マイノリティを組み合わせたブロックではない。外なる多様性を集めるのではない。今いる人たちは全員バラバラに異なるという、内なる多様性を発露させることがダイバーシティなんじゃないか。

それにより、マジョリティという虚構は崩れる。全員バラバラになったアメーバ状のアナーキー社会で私として立つことは、相応の強さを必要とするだろう。その強さの顕れが「1.媚びない、アート」かもしれない。

人事・HRを本業としながら、EDAYAに関わるのはなぜかと問われることがある。でも、人事にとっても重要なダイバーシティインクルージョン(もしくはインテグリティ)の秘蹟が、EDAYAにはある。

僕にとっての「魅力のひみつ」はそこかな、なんて。

 

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