江藤新平の逃亡路、宇和島から高知へ

旅行の目的が、その旅程であっても悪くはなかろう。

 

夏休みに高知に行く、と壮語していたが実のところ目的地は四万十の山中で、宇和島から行くルートがあることを知った。宇和島から、予土線というものに乗って四万十川沿いに高知に行く道程となる。

 

これは、江藤新平が落ち延びた道らしい。

 

肥 前の人として明治維新政府で司法卿を務め、卓抜した実務能力を持ちながら征韓論がらみで下野し、佐賀の乱を蜂起し敗れた江藤新平は、薩摩・鹿児島で西郷隆 盛に会い一縷の望みを絶たれた後、さらなる足掻きで大分から宇和島にわたり、四万十川沿いを土佐・高知にでたものの捕縛される。後は死刑、そして晒し首。

 

江藤新平という人については、司馬遼太郎の『歳月』がある。

 

かつて大河ドラマ翔ぶが如く』で隆大介が演じて知ってから、峻烈な実務の人という印象がある。司法卿という肩書がカッコよく、三権分立を取り入れようとしていたとか、汚職に厳しかったことなどからけっこう好き(事績を詳しく知らず、イメージ上好きな程度だが)だったが、最後が宇和島から高知に逃げたことは初めて知った。

 

土佐で最後の蜂起を狙ったのか、海からさらにどこかへ行くつもりだったか知らない。ただ、江藤新平という実務家が、あまり実務的ではない逃走のためにたどった落人の道に思いはせる旅程というのも、また風流といえよう。

 

宇和島から高知へ、江藤新平最期の逃亡路をたどる夏休み。

 

新装版 歳月(上) (講談社文庫)

新装版 歳月(上) (講談社文庫)