東大を駒場で中退した僕が、14年ぶりに駒場で講義を聞いてきて、惰弱さに憤る話
(偏見とルサンチマンによる妄言)
中退したことのない人にはわかるまい。
中退した人間が、元いた学校の教室に座り、講義を聞くことへの心理的ハードルの高さを。。
先日、LGBTアクティビストの方たちによるIVLP報告会というものに参加しました。ぜひ聞きに行きたかったし、実際素晴らしかったのですが、会場が・・東京大学の駒場キャンバスでした。
僕は東大を駒場で中退した人間(東大は駒場と本郷に分かれている。中退する人は、多くは本郷で中退する、と思う。)です。その後、本郷には何回か行ってます。駒場は、大学とは別のカフェだの公民館だのは行きますが、駒場キャンパスは学園祭でちょっと顔を出すだけで極力避けてきました。
やっぱり心理的ハードルがあり、避けてた。
2002年の3月に、大学に中退届を出しに行ってから、もうすぐ14年(!)になりますが、14年間避けていた。ソーシャルセクターの仕事をしたり、学生団体に関わっていると、大学に行くことや大学でMTGやイベント等を行うことは日常的なのですが、、駒場はダメでした。
中退した話は、よくいろんな人から聞かれます。「なんで中退したんですか?」「後悔しませんか?」「戻りたいですか?」「中退する前の自分に会ったら、何ていいますか?」とか。
まあ夢や希望があって中退したわけでなく、なし崩し的に中退した(中退しなけりゃ除籍になった)んですが、別に後悔はしてなくて、良かったと思ってます。その時の自分に会っても、「中退しとけ、後々良いことある」と伝えます。
でもまぁ、失意の中退だったんだろうね。そんなつもりはなくても、無意識に避けていたんだな、、と気づきました。
で、IVLP報告会です。心理的ハードルを飛び越えて、無事参加することができました。駒場の教室で講義(報告会)を聞くなんて・・・中退者としては考えられない。
セクシュアルマイノリティの方たちの報告会、というのも大きかったのかと思います。中退者として、マイノリティ性を抱えて鬱屈を胸に秘めていた者にとっては、マイノリティに寄り添う集まり、という心強さがあった、んじゃないかな。
というわけで、駒場東大前駅を降りてから、イヤーーーな気持になりましたけど、ちゃんと大学の門をくぐれた。大人の階段を登れました。
駅から大学には行ってしばらくは、全然変わらないね。
驚いたのは(誰もが驚くと思うけど)、駒場寮とか、サークル棟とか生協のあったあたりで、ニュースにもなっていたけど森ビルさんの寄付とかでやたら綺麗な棟が立ち並んでいた。
最近、『東大駒場寮物語』という本が出たけど、20世紀末の世紀末的な汚臭混沌はどこへやら、オシャレな学びの空間みたいになってました。
なんか許せん。惰弱だ。
こんなオシャレなところで、身を削るような思索などできるのか(怒)!!・・・とか、理不尽にも怒りに打ち震えたのでした。(偏見とルサンチマンに基づきます。)
帰り道は真っ暗になっていたのですが、夜の学内も昔と変わらない。
夜の大学内って、道に迷うと大変なことになるのですが、ちゃんとどこに何があるのかわかって、ぐるっと散歩して帰れました。それなりに自分も大学に通っていた証拠だな、、と思ったり。
最近、東大生のクリスマスの過ごし方が悲惨、という記事では、男友達で街でバカやる話とかが載ってました。東大生協では『僕は友達が少ない』が売行き№1、という記事もありました。東大ぼっち飯研究会というツイアカもありました。
いや、惰弱ですよ。
クリスマスに遊ぶどころか話をする相手もいない、ラノベなど買うお金はない、メシは食えないので猫と奪い合う、というのが東大最下層の生き方なはず。
生きよ堕ちよ、と思ったのでした。