徒然妄念:ばあちゃんのフリースがもう限界かもしれない

僕が部屋でどんなかっこうで過ごしているのか、見たことがあるのは、両親をのぞけばドラえもんが指折り数えられるほどの人数しかいない。

 

冬は、いつも小汚いフリース(女物)を着ている。17年間、着続けている。

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この超絶ご愛用のフリースが、もういい加減ボロくて、限界かもしれない。

 

寒がりなので、1年の半分、1日8時間(会社ある日)~24時間(ひきこもる日)着てきたことを考えると、着用47,000時間ほど!!(真面目に計算してみた)。そりゃボロくなる。

 

祖母の、いわば形見の品。

 

祖母は僕が大学1年生の冬に亡くなった。1999年。秋口から入院していて、脱ぎ着しやすい暖かい羽織ものがほしいというので、僕が登山用品店に行ってフリースを買って、プレゼントした。

 

ユニクロのフリースがアホみたいに売れるちょっと前だったので、まだ珍しく、ちょっと高かった。ばあちゃんにフリースを羽織らせて、前のボタンを留めて、これフリースっていうんだよ、登山とかで人気なんだよ、あったかいでしょ、軽いでしょ、僕が買ってきたんだよ、おばあちゃんにプレゼントだよ、って言った。

 

祖母は、袖が通しにくいとか、風が通るとか、言っていた。孫のプレゼントとかお土産に、けっこう厳しいばあちゃんだった。

 

その後すぐに祖父が亡くなり(じいちゃんも癌だった)、祖母は病院から葬儀に出て、また入院した。僕は大学に行かなくなってゆき、パリに現実逃避したり、女の子との恋に溺れたりした。でも祖母のお見舞いにはちゃんと通い(母もついていたので)、2月にスイカを買っていったりした。祖父の後を追うように、数か月遅れて祖母も亡くなった。

 

と、いうわけで自分がプレゼントしたフリースを、葬儀後に僕は取り戻したわけですね。なので、前のあわせとか、作りが女物。よくよく考えると僕は、17年間自宅では女性用の服を着ているので、なかなかジェンダーレスでよろしい。

 

自分が買って、祖母にプレゼントして、また形見として帰ってきた品だからか、単にいい品だったからか本当に着やすいというか着ているのが当たり前というか、愛着という言葉がぴったり。

 

でもどこかで、僕のフェティシズム的な依存心や甘えの顕れのような気がして、卒業しないといけないよな、という気はしていた。

 

1998年の秋に買って、1999年からは僕が着続けて17年。ボロになったばあちゃんのフリースはもう真空パックにして、さらにもうちょっと大人の階段登らないといけないのかも、しれない。

 

しかし・・・、フリースってむっちゃケミカルな服だけど、17年も着ればそりゃ十二分にエシカルだろう。こういうエシカルもある!ということを言いたかったわけです。