耽典籍:いろいろな理由で周縁ができ、いろいろな人生が過ぎていく。『青線 売春の記憶を刻む旅』八木澤高明(スコラマガジン)
歌舞伎町という歓楽街を、周縁とよんでいいものか。
歌舞伎町には欲望が集積した光芒がある。そこからこぼれ出た残光が、さらに周縁の窪地に溜まり澱む。世紀末の新大久保は、その澱みだった。
周縁の、周縁。
花魁のように飾られた風俗やキャバクラがある歌舞伎町は、苦界とはいえ華やかだった。新大久保の路地には、アジアや東欧、南米からの立ちんぼが、電柱の下に立っていた。時代劇で知っていた「夜鷹」という言葉が浮かんだ。
歌舞伎町が「赤線」なら、新大久保は「青線」だと思っていた。中高生の頃の、僕の散歩道。
(実際の新宿の青線は、現・新宿文化センターやゴールデン街のあたりだという。)
『青線 売春の記憶を刻む旅』八木澤高明(スコラマガジン)。
日本各地の青線を訪ね歩く紀行。
青線といえる地域が、日本のあちこちにあったことに驚く。東京や大阪といった都市だけではなく、地方にも。考えてみれば、飯盛り女というのも私娼の一つの流れであり、飯場も青線であるのなら、山間の小都市に売春街があってもおかしくはないのだろう。
そして基地。日本軍であれ米軍であれ、駐屯があった地には歓楽街ができる。それは地方にあることが多い。
いろいろな理由で青線ができ、いろいろな人生が過ぎていく。そして錆びれていく。とこか静かで物悲しい。
興味深かったのは、米軍の進駐に際し市民を守るため、と作られた売春施設の始まりが大森海岸のあたりで、徐々にいわゆるパンパンが増えていった様子と、同様のことが山形神町という地方でもおこり、パンパンの町と呼ばれるまでになっちゃった、、というエピソード。きっと山形だけではなく、各地であった現象なんだろうな。
そして、最近親近感がある長野の佐久や中込も、水上勉の『花畑』という小説とともに紹介されていて、意外だった。オリンピック特需などのため、タイなどからいわゆる「じゃぱゆきさん」が来ており、いくつかの店もできていた、という。
本の中では、そんな「じゃぱゆきさん」が日本に定着し、地元でタイの野菜を作って売っていることが書かれていて、すこしほっとさせる。
「派手なネオンの世界に身を投じていても、彼女たちには土の記憶が少なからず刻まれていて、苦界を抜け出し農作業をするということは、私の目の前にいる長靴を履いた女にとって、理想の人生を送れているのではなかろうか。」
僕が中高生のころブラついて、電柱の下の国籍不明な街娼を眺めたり、もっとアブないものを売っているっぽいお兄さんを盗み見たりしていた新大久保は、石原都政の浄化作戦と、日韓ワールドカップの盛り上がりで、少しづつ無法地帯ぶりを失っていった。
しかし、決定打は「冬ソナ」だった。
ヨン様の笑顔を求めるおばさまたちが溢れるようになって、青線のような無法地帯で生きる人々は駆逐された。おばさんには勝てないよ。。
コリアンタウンとして活気ある街になった新大久保も好きで、フラつき歩く。パチもんっぽいアイドルグッズが、各店舗でちょっとづつ値段がかわっていたりするのが、市場のダイナミズムを感じさせて、楽しい。
さて、今の新大久保は周縁なのだろうか。