耽典籍:フィリピンの文化とジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン(JFC)、そして誰もがマイノリティな社会。『日本とフィリピンを生きる子供たち』野口和恵(あけび書房)

嫌なことを、わざと書く。

ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン(JFC)に付きまとうのは、いわゆる「じゃぱゆきさん」の子というイメージで、さらに直言するとフィリピンパブのホステスが売春まがいをして出来た子、というイメージではないか。世間の潜在的悪意は、そういう目を持っていないか。

イランとのハーフが、麻薬売人との子、という陰口を叩かれたりするように。

 

『日本とフィリピンを生きる子供たち』野口和恵(あけび書房)。

日本とフィリピンを生きる子どもたち―ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン

日本とフィリピンを生きる子どもたち―ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン

 

事実があり、虚像がある。さらに事実には解釈があり、解釈は虚像を助長する。

 

国籍の問題に限ったことではない。何であれ、多様な個々に向き合おうとする者は、この事実と虚像と解釈とが織りなす虚構世界を掻き分けなければならない。やっかいなことだ。

そこで虚構世界に腹を立て、風車のお化けと戦うことも大事だけれど、別の虚構の崩し方だってある。

 

ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレンについて。

 

僕がかかわるEDAYAは、フィリピン北ルソン島を拠点としている。デザイナー兼工芸家は、エドガー・バナサンさんというフィリピン人である。

僕は彼のことを尊敬している。

山岳少数民族カリンガの竹楽器の奏者として、エドガーさんは卓越していて、いつもその笛や倍音楽器の音色には聞きほれる。工芸家としても一流で、ワークショップなどで竹の工作を手伝ってくれるエドガーさんの手つきは魔法のようである。そして、人を思いやってくれる温かさと、アーチストとしてのプライドには頭が下がる。

デザイナー・工芸家・音楽家が一体となった、匠だと思う。

 

EDAYAのアクセサリーには、そんな匠・エドガーさんの技術と、それを裏支えする伝統が詰まっている。フィリピンには、そのような文化があるのだ、という事実を伝えることが、虚像や解釈に作用することもあるだろう。

 

搦手から、ではあるがもし何かの一助になっていれば幸いと思う。

 

一方で、正面切ってぶつかりたいと思うこともある。

「途上国で貧しい生活、安全が保障されない日常を送っている人に対しては同情を寄せ、ときには寄付をする。けれど、そうした人々が自分たちの生活圏に入ってくることには、抵抗を感じる日本人が多いのではないだろうか。」

 

難民認定の数を挙げずとも、国籍・民族についてに限らずとも、日本はまだまだ多様性に弱い・不寛容な社会と思う。

僕は新大久保で中高時代を過ごしたが、そこは日本語が韓国語、中国語(北京、広東)などと並ぶ一選択肢としての位置でしかなかった(もちろん日本語が主言語だけど)。店に入って、「日本語わかる人いないからダメ」と言われて出てきたこともあった。多様性の混沌の中での生活は、結構、楽しかった。

 

国籍や民族だけじゃなく、セクシュアリティ宗教観や、その他いろいろ個々の多様性が顕れて受け入れられる社会にしていきたいと、ずっと動いている。みんなマイノリティ、みたいな。

一部でいまさら話題になってる、ソーシャルインクルージョンって、そういうことだと思う。