耽典籍:どうして人類は、そんなにまでして「同性愛」を「診断」したかった/されたかったのだろう。『同性愛は「病気」なの?』牧村朝子(星海社新書)

笑っちゃいけないんだろうけど、妙に笑えた。

 

人間は滑稽だ。その滑稽さの裏には、何があるのだろう。恐れか、不安か。そして、滑稽は残虐の双子にもなる。滑稽さの下に、血の川が流れる。

 

『同性愛は「病気」なの?』牧村朝子(星海社新書)。

 

「同性愛」を、人類がどのように“科学”的(笑)に診断していたのかを追った、“科学”史的(笑)な一冊。こんなに様々な、「同性愛診断法」があったのか・・と思う。呆れてしまうような「診断法(笑)」のオンパレード。

 

そんな数々の「診断法(笑)」に残酷にも診断されて、尊厳どころか生命も失う人々の姿が、隠しようもなく見えてくる。

 

どうして人類は、そんなにまでして「同性愛」を「診断」したかった/されたかったのだろう。その奥にある真実は何か。

 

本書は深く切り込まないが、「そもそも「同性愛」という言葉自体がかつては存在しなかった、という事実でした。そして、そんな時代に「同性愛者」という言葉をつくりだし、数々の同性愛診断法を考え出してきた、それぞれの人々の、それぞれの人生でした。」とあるように、じわじわと炙り出そうという意図は感じる。

 

「ひとりとして同じでない人間たちが、「誰かと『同じ仲間』でありたい」あるいは「『違うやつら』を排除して安心したい」という想いで何をしてきたかという歴史を、その過程で考え出された実際の同性愛診断法とともに見ていきましょう。」

 

やはり、恐れか、不安か。あるいは他か。

 

本書で印象的だったのは、「かつて欧米諸国に侵略されたアフリカ諸国の人びとの悲しみと怒り」を想像していたことだった。たしかに、キリスト教的価値観で同性愛という概念を作られ、それを禁じられたと思ったら、今度は人権といわれてLGBTの権利を尊重すべしを言われ、挙句に多様性が大事だよね、とか言われたら・・何と身勝手な、と憤慨する。

 

一つのマイノリティ(本書の場合はLGBT)の立ち位置から、他のマイノリティ(アフリカの)の立ち位置を慮る、という共感は、これからますます大切になってくると思う。互いに被害者として叫びあうのではなく、みんな違う、みんなマイノリティとして共生する社会を目指すのなら。

 

僕は、誰もがマイノリティである、一人の人間の中にさえ多様性がある、と思う。それが真実だと思う。その真実を認めれば、自由になることもあると思う。でも、自由は恐れや不安を宿す。そして恐れや不安は、滑稽な残虐の道も拓く。

 

真実が残虐な滑稽を宿さないためには、自由に耐えられる生き方を。

 

最後に。使ってみたいのは「SGL(Same Gender Loving)」という概念。自分自身が男性か、女性か、それ以外かどちらでもないか、という自分起点では考えずに、どのセクシュアリティの人を愛するかという愛する人起点で考える、という視点は、他社に寄り添う社会的な姿勢だと思えて、好もしい。

 

自分と異なる誰かに、寄り添うこと。