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耽典籍:空海のハイブリッドキャリアと、物差しで測れぬものの尊さ。『空海』高村薫(新潮社)

耽典籍

やはり空海なのか、と思った。

まだ僕には、空海はわからない、とも思った。

 

空海高村薫(新潮社)。

空海

空海

 

司馬遼太郎晩年の著『空海の風景』もまだピンと来ないし、おかざき真里の『阿・吽』は好きだけどまだ最澄メインだし。

 

日本思想に燦然と輝くと言われても、宇宙観と言われても、つかみにくいしどうにも興味が沸かない。。これは僕がまだ空海に臨めるだけに成熟していないということだと思う。いつの日か、空海について読みふけり史跡を訪ね歩く時が来る予感はするので、ポツリポツリと関連書は読んでいる。(それって興味沸いてるってことじゃ・・とかも思うけど。)

 

高村薫が、空海の足跡をたどりながらその思想の形成や後世への伝播を探る本。高村薫空海に行ったか、と思いつつ購入し、読んだけど、やっぱりピンと来なかった。

・・とはいえ、面白かったこともいくつか。

 

「二人の空海」という表現が出てくる。空海もハイブリッドキャリアだったんですね。

 

「都で天皇や貴族たちを相手にこうしたお定まりの講説を営々と続けていた空海と、東寺造営の別当として講堂に前代未聞の羯磨曼荼羅を創ろうとしていた空海の、二人の空海がいた」。さらに、高野山に伽藍を建築していた三人目の空海もいた、とある。

 

分かりにくい表現だけど、都で鎮護国家の祈祷としていた政治家的な空海と、性霊集のような宇宙大の密教思想を究める思想家の空海と、溜め池を作るような社会事業家の空海と、高野山などの伽藍建築家の空海と・・・。

 

まあ実に多能だけど、それぞれ別個の活動にも見え、同じことの別側面にも見え、まさにハイブリッドキャリアだと思う。

 

もう一つ、空海の死後、弘法大師という諡号がされるまで時間がかかったこと。密教の探求は衰えてしまったともある。空海個人のパフォーマンスが凄すぎて、弟子たちはその人脈も思想も受け継ぎ難かった、と考察されている。

天才的経営者の後継あるある、ですね。。

 

 

そして、ヌミネーゼという言葉を新しく知った。

憤怒の不動尊という異形をなぜ尊ぶか、という文脈で出てきたが、ドイツの神学者ルドルフ・オットーが提唱した概念という。

 

非合理的なものこそ神聖なものだとする、と解説されているが、岩波文庫の『聖なるもの』に著されているそうなので、これは読まねばなるまい。

思うのは、埴谷雄高アフォリズムもしくは詩集不合理ゆえに吾信ず』であり、おそらく埴谷はルドルフ・オットーの著書など読んでいるだろうから、ある種の引用もあるだろう。

 

僕の価値観として、自身の物差しで測れないものに惹かれる、そんなものを美しいと思う心があり、それも一種のヌミネーゼということか。

 

この人、理解できないなと思うと素晴らしいと思う。あと、いろいろな国の料理を食べに行くのが好きだけど、それも自身の味の物差しでは測れないのが面白いから好き。

 

例えばミャンマーのカチン州料理とか食べて、美味しいのか美味しくないのか、わからないんですよね。でも現地から来た人が美味しいと食べているから、これは美味しいのかな、、とか思ったり。

こういう物差しを崩して作り変える体験って、楽しいし尊い。

 

あ、空海は非合理で物差しで測れないから、ピンと来ないままでも興味を惹かれているのかな。。