劣化した男性社会に対する男性による自己変革

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聖書は誤っているのではないか。

イヴはアダムの肋骨から作られたというが、本当はアダムがイヴの肋骨から作られたのではないか。

ミジンコは基本は雌で、干ばつの時などだけ雄を生むという。雄は危機克服のソリューションであり、課題解決のためのイノベーションの道具といえるかもしれない。

ちょうど、AIが人類にとってイノベーションの道具であるように。

人類がAIに支配されるかは知らないが、女性は自らの肋骨から作った男性というイノベーションの道具に支配をされてきた、という過激な表現も可能だろう。

そして『イノベーションのジレンマ』を引くまでもなく、イノベーションは行きつけば硬直化し、自縄自縛し、劣化をする。

ちょうど『劣化するオッサン社会の処方箋』という新書が話題になっているが、男性社会が根腐れし腐臭を放つ殿方が増えていることを、イノベーションの限界とからめて語ることも出来よう。

イノベーションのジレンマ』には、セルフイノベーションの重要さと困難が記されているが、劣化した男性社会に対する男性による自己変革がどこまで進むかが、これから先の人類にとって浮沈をにぎるくらいのテーマになるんじゃないかな、、と思う。

それができなきゃ、シンギュラリティ以降の人類は沈む、とか言うと刺激的すぎるけど。

・・・ということを考えているなかで、社会活動の最前線で頑張る男性たち何人もと顔をあわせることが続き、ちょっと嬉しかった。

劣化した男性社会に対する男性による自己変革は、これからもっと流行るよ!希望をこめて。

原点をリデザインしていくこと

原点、という言葉が耳に残りました。

 

エシカルペイフォワードで催した、インド関連のイベント2つ。「インドと仏教の旅のおはなし会」と「インドと刺繍の旅のおはなし会」。

 

インドに留学されていた瑶光山 最明寺の千田明寛さんのお話し。

 

仏教のあり方を考えられて、原点をもとめインドに行かれたこと。そこで僧侶やお寺と社会との関わり方を見なおされて、日本で世界自閉症啓発ウィークの青色ライトアップのようなソーシャルアクションだけでなく、臨床宗教師などの地道な活動も担っていらっしゃること。

 

インドの刺繍をほどこした服を作るitobanashiの伊達文香さんのお話し。

 

各地の村を訪ねて、刺繍ができる職人を見つけて、面倒をいとわずコミュニケーションをとり、服を仕上げること。日本でも各地をまわり、お客さんに来ていただいて現地の様子も伝えながら服をお渡しし、また次の季節の注文をもらうこと。

 

昔は当たり前だったこと、でもいま難しくなったこと。そんな原点を、過去にとらわれて復古するのではなく、時代にあわせてリデザインして取り入れる、そんな試みを続けている人のお話しは、とても面白いです。

 

聞き手役をつとめてくださった篠田るみさんが取り組むアーユルヴェーダも、近い試みかと思います。

 

仏教や、衣や食の、人が生きて暮らすことの、原点をリデザインしていく試み。

 

ある種の人間性の回復かもしれず、シンギュラリティが近く、『サピエンス全史』が終わり『ホモ・デウス』に至るこの時代には、改めて大切なことだと思います。

 

僕的にはそういうのをまるっとエシカルって考えてるので、みなさんと頑張ろう、と思う6月末でした。

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ヴァルネラブルな世代

ヴァルネラブルということを考えている。

新幹線で刺殺された方は、まったく同じ時に同じ大学で時を過ごした方で、机を並べた知人もいるらしい。

事件にあうのは偶然で、怖いね、運だよね、何と出くわすかわからないもんね、と人々は言う。

そうだろう。でもそうだろうか。

大江健三郎の小説には、「ヴァルネラブル」という言葉が出てくる。“Vulnerable” 、脆弱さや傷つきやすさ、攻撃されやすさのことだという。

贖罪の羊のように。

大江の小説では、ヴァルネラブルな人々は社会の歪みや矛盾を引き受け、不寛容さを浴び、人間的な脆弱さをさらけ出してアンチクライマックスな崩壊を迎えることが多い。

そんなヴァルネラビリティーを描くのが大江健三郎の文学だと思う。そして大江のいくつもの作品では、ヴァルネラブルな人の類型が探られてきた。

答えはない。でもヴァルネラビリティーは偶然ではなく、世代や、年齢や、環境や、職業に大きく影響されるのではないか、と思う。(大江はミドルクライシス・中年の危機をよく挙げていた)

飛躍していえば、僕たちは「ヴァルネラブルな世代」なのではないか。

ヴァルネラブルなことは、悪いことではない。ヴァルネラビリティーは、可塑性、可変性、共鳴性、協調性などにも通じる。

社会起業家というものが、ソーシャルセクターに身を置き社会のために何かをしようという動きが、したたかな足腰をもって立ち上がったのは今の30代半ばの僕に近い世代だと思う。

冷戦終結バブル崩壊阪神大震災やオウムや神戸の事件や、年齢別に出来事をひもといて世代論をするつもりはない。でももし、僕たちがそんな世代史によりヴァルネラビリティーを負っていたとしたら、その脆弱さをお互い補填しあおうと、社会に向けた目を育んだのは当然なことだろう。

ヴァルネラブルであるのなら、これからも何かの形で贖罪の羊が出るのだろう。でもその脆弱さを恐れず、むしろ依り代として、後生にもヴァルネラビリティーを伝えられるようでありたい。ヴァルネラブルな人々を認め合えるようでありたい。

そんなことを思いました。

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不妊から、ワークライフインテグレーションとか家制度打破とか・・

 

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ライフサカス(UMU)のお二人から、不妊のお話しを聞いてきました。

umumedia.jp

 

不妊治療は身近にも取り組んでいる人がいるし、自分は不妊治療が実って産まれたんだよって知人もいるはず。だけどあまり語られない(語りにくい)ので、関わる人が多い割には認識されていない(西部さん表現ではサイレントダイバーシティー。見えない多様性ってことですね。)ということをつくづく感じました。

 

SOIFでFineの松本さんから不妊のお話しをはじめて聞き、全然知らないことばかりで驚いて、「これって人事課題じゃない??」と興味をひかれていたのですが、昨夜は西部さん黒田さん、他参加者の皆さんのお話しにすごく考えさせられて示唆いっぱいでした。

 

思うことは二つ。

 

まず、ワークライフインテグレーション。

 

日本においては、会社(ワーク)とプライベート・家庭(ライフ)が断絶していて、ワークはライフを圧迫してきた。その中でライフ最優先である不妊治療はとても後ろめたい、言い出しにくい、という話しが出ました。僕の知人でも不妊治療をしていたら「そんなのわがままだ」と会社の人に言われた方がいます。

 

もうそんなの古すぎでしょ。

 

不妊単体では打破できなくても、会社とプライベートの関係をさまざまな攻め口から変化させていくことはできます。パラレルキャリア促進とかも一つ。子連れ出勤とかもいいと思うし、manmaの家族留学とかも面白い。

 

そうやって、断絶しているワークとライフのバランスを考えるんじゃなくて、二つを統合(インテグレート)していくのがこれからなんじゃないかな・・とか思います。そうなっていけば不妊治療についても語りやすい社会になるんじゃないかな。言うは易し行うは難しですけどね。

 

あとワークライフインテグレーションが進めば、もとめられるのはライスワークとライフワークを平行両立させた「パラレルキャリア」ではなく、双方を呼応させ混在させた「ハイブリッドキャリア」なはずとかも思います。(TEDxで「ハイブリッドキャリアのすすめ」(https://youtu.be/CKKmk6938NQ)って話しをしているので我田引水。)

 

そして、家制度の打破。

 

黒田さんが指摘されていましたが、不妊について語られたり教育されたりしていくことで「何歳までに子供を産まなきゃ」みたいな呪縛というか同調圧力が強まるのはイヤだなぁと僕も思います。何歳で産もうが産まなかろうが養子をとろうが、それぞれの選択。

 

相撲の土俵に女性は上がるなという伝統が調べてみればけっこう最近できた制約じゃない?みたいな話しと同じで、古臭いステレオタイプとして示される家族のあり方(ついでにいえば疑似家族としての会社のあり方)も、戦前後くらいにできて高度経済成長期に染み付いちゃったけっこう最近できた制約な気がする。

 

江戸時代どころか明治大正期まで養子とか多かったし。セクシュアリティも当たりまえに多様だったようだし。

 

それを家制度の残滓と表現するのがあっているのかどうかわからないけど、とにかく似非伝統なんて臭い垢と同じでとっとと洗い流せばいいと思います。まあ価値観の変容なのでそう簡単にはいきませんけど。

 

そんな取り組みはLGBT/SOGIの知人たちが前線でがんばっているので、『ジェンダーマリアージュ』や『ゲイビーベイビー』を見つつ一緒に何かしたいし、ポリアモリーには特に可能性を感じています。

 

などとめもなく考えつつ、とにかく不妊治療についてはもっと知られるといいなと思います。そのためにライフサカスのお二人を応援しようと思いました。

 

そしてやっぱり不妊は人事課題だと思うので、産休・育休とかマタハラとかの次には絶対に人事は真面目に考えるべきです。下世話な言い方をすると、次の次あたりのブームはここが来るかもしれませんよ。

表現を待つもの。『谷川俊太郎展』

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現代詩の先生である文月悠光さんにチケットをいただき『谷川俊太郎展』へ。

 

詩人の頭の中を遊園地にしたみたいな展示が楽しかった。

 

数学って何ですかと聞いたら、「蝿が飛んでいるでしょう、あの飛ぶ軌跡を数式にできるのが数学です」と言われたことがあった。

 

誰にも見えている、でも捉えがたい軌跡を数字という道具で切り取って見えるようにするのが数学なら、詩も同じようなものかなと思う。

 

誰にも見えている、でも意味をなさない人や世界の軌跡を言葉という道具で切り取って見えるようにするのが詩なのかもしれない。

 

世の中は、意味をなさないけれども表現を待っている何かに満ちている。

 

しかし人がたくさん来ていた。詩を好きな人は、こんなにいるのだろうか。

【血塗られた電柱】

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時は2011年2月。震災前、リーマンショックからの不況色濃い晩冬の頃。


日立グループにて、西武鉄道駅ナカコンビニの一括採用管理という無謀な新規事業立ち上げに挑んでいた僕は無茶苦茶焦っていた。詰め段階で契約がまとまらない。時間が過ぎるごとに社内の風当たりは強くなっていた。


こういうときは売り上げを作ってしのぐ。というわけで学生マンションの清掃業務を受託してきた(会社はビルメン業)。都内数十棟のマンションの部屋を業者さんに頼んで掃除してもらう仕事だった。


トラブルは土曜の朝。


マンション管理会社が内見に行くと、部屋の鍵が閉まっていた。本当は開けておかないといけない。ミスだった。トラブルは早期挽回。連絡をうけて、この土日に自分で全戸まわって開けてしまおうと思った。


昼に鍵を受け取り、都内を猛スピードでまわりだした。路線図の端から端まで十数駅、急ぎ足でマンション数棟の部屋の鍵を開けて、開けて、開けて。


とにかく必死に駆けずりまわって6割くらいを終えた頃、日が暮れてきた。夜の業務継続は難しい、でもあと少し・・。気が急いて、焦りは最高潮だった。


次のマンションは千駄木にあった。そこと、隣駅の西日暮里の2棟を終えれば、明日はかなり楽になる。やり切らねば。


そう思って千代田線から飛び降りて千駄木駅の階段を2段飛ばしで走り上がり、路上に飛び出て左に曲がって、記憶が飛んだ。


道路に倒れていた。


クラクラする。何がおきたかわからない。どうやら横たわっているようなので立たないと、と思うけど視界がぼんやり。メガネがない。変だなと顔を触るとヌルヌルする。何だこれと手についたヌルヌルに目を凝らすと赤い液体で、血だった。血で右眼が見えない。


それでも立ち上がると、電柱があった。この電柱に激突したのだ。地面に血が飛び散っていた。


メガネを拾い、植え込みに座り、携帯を取り出して119に電話をした。かからなかった。もう一度電話をした。かからなかった。


しかたない。血が滴る右眼をハンカチで押さえて、駅に戻ることにした。改札にいた集団にキャーと叫ばれたけど、「いや大丈夫です、、」と小声で言いながら駅員さんに、「電柱にぶつかって血が出てるので消毒液とか借りられますか?」と聞いたら断られた。トイレで鏡をみたら、瞼を切ったらしい。眼は大丈夫。でも血が止まらないし切れた瞼が妙に白いので病院に行かなきゃ。というわけで駅員さんに近くの救急病院を教わり、歩いて行くことにした。


スマホに変えたばかりだったけど、こんなに地図アプリが頼もしかったことはない。右眼は血だらけ。メガネもかけられない。俯いて左眼でスマホの地図を見てヨロヨロと前に進んだ。右眼を押さえたハンカチからは血が垂れてポタポタとスマホを赤くした。


かなり異常な光景だったろう。道行く人が避けて、歩きやすかった。気が遠くなる道のりだった。出血が止まらなかった。


救急病院にたどり着き、どうしましたと聞かれたので「いやぁ、電柱にぶつかっちゃいまして、、」と言うと、ラッキーですねと言われた。今日の先生は上手いですよ、と

 

若い医師は、もうちょっとで目をつぶっていてもあっち側が見えるようになるところでしたよ、とふざけた後で、瞼を縫ってくれた。1ヶ月はお岩さんですよ、それ以降は傷が残るかわかりません、と言われて病院を去った。


なんだか夢や非現実の世界に来たみたい。さっきまで事業のこと、マンションまわりのことで必死だったのに。

 

電柱に頭を打ったし、出血もしたし、かなりフラフラでぼんやりしていた。もう限界で、タクシーを呼んで家に帰ろうかと思ったけど、仕事をしないとという気持ちが優った。


その時は仕事に、マンション清掃ではなく自分の新規事業を立ち上げることにそこまで必死だった。


何としても事業を軌道に乗せたい。その為にはマンション清掃のトラブル対応で休日がつぶれ脚が棒になろうと、片目が不自由になろうと構わなかった。仕事が命。結局、予定通り残りの3棟をまわり、帰宅した。


右眼の腫れは1ヶ月程で引き、抜糸をしたらさほど瞼に傷は残らなかった。事業立ち上げにあと2歩と迫ったとき、震災が来た。


昨日たまたま友人たちと千駄木に行き、久しぶりにあの電柱に対面した。歩道の真ん中に立っている極めて危険な電柱。この電柱にぶつかって血をなすりつけたんだなと思うと憎たらしいけど、必死だった自分を懐かしくも思う。


電柱に血痕は残っていなかった。

鼻血講義で高校生に人事やダイバーシティやノーレイティングを話してきました

人事ってわかる?ときいてポカーンとされ、バイトしてる人は?ときいてシーンとし、知ってる大企業は?ときいて「よ、ヨドバシカメラ・・」と答えられて、完全に組み立てを間違えた(高校一年生は人事なんて知らないよね)、、と悟った前回のキャリア講義。


またご用命をいただき、正直悩みました。高校一年生には何が面白いのかな。自分に伝えられることは何かな、と。さらにエシカルについての話しは、別枠で村松さんが講義をするので封印だし。

 

手加減しないこと、が結論。

 

高校生向けに薄めたものじゃなくて、全力で人事の話しを。新しくて刺激的なものを情報過剰に伝える。今はわからなくても、残るものが一つあればそれでいい。

 

社会の変化にしたがい、人事・働き方はどんどん変わっている。そんなホットトピックを話して、なんだかいろんな可能性があるんだな、自分にはどんな選択がいいかな、と考えてもらうヒントを手加減なしで投げ込んでくることを講義目的にしました。

 

そのうえで、ダイバーシティの種を植えてこれれば成功。

 

とはいえ、高校生でも人事を自分の身に引きつけてとらえられるように説明の工夫もしてみた。

 

・採用

→部活の勧誘は採用活動

 

・パラレルキャリア

→高校生として勉強しつつ、コンビニ店員のバイトも頑張ればパラレルキャリア

 

・人生100年

→大学に入ったら、同級生に50歳のおじさんおばさんがいる時代

 

・健康経営

→よく寝たほうが勉強の効率がいいので学校がみんなの睡眠の質を測ったりする

 

・1on1

→毎月先生と面談して勉強のこととか気がかりなこととかをざっくばらんに話しあう

 

・ノーレイティング

→試験をやらないで評価をする

 

・会社の枠をこえた人事

→他の学校と行き来して授業をうけたり部活を一緒にやったりする

 

みたいに、人事のトピックを大雑把に高校生活に置き換えてみたんだけど、まあまあ伝わった気がする。ノーレイティングなんて高校生にはわかるまいと思っていたら、「試験をやらないのに評価して成績はつけようって仕組みです」というと共感したようで、たしかに試験なしで評価をしてもらえれば伸び伸び勉強できるかも、でも試験やらないとどう評価していいか難しいよね・・・という利点難点まで感じてくれた子も幾人かいたようでした。

 

その上で、ダイバーシティについて。

 

「たぶんこの教室には日本と近隣アジアの出身者しかいない。セクシュアリティはいろいろかもだけど、みんな同じ制服を着て、みんな髪の毛が黒くて。これはとっても異常。」とあえていってみたんだけど、通じたかどうか。

 

「でもこの教室にアフリカから留学生を迎えて、それでダイバーシティっていうのは違います。」と、異物を外から連れてくる発想の外なるダイバーシティに触れてから、「みんなこの授業に興味をもつところは違う。好きなことも得意なことも違う。個人でも、家と学校とじゃ人間性が違う。そのみんな違うこと、バラバラなんだということを認めて活かすことがダイバーシティ。」と内なるダイバーシティの話しをした。そこが一番伝えたいことだったのだけど、ちょっとでも気に留めてもらえればいいなと思っています。

 

最後に先生から、VUCAな社会で高校時代に何をすればいいと思いますか?とご質問いただいたので、「とにかく基礎的な一般教養学ぶことで、こんなキャリア講座を聞くより漢文とか三角関数とか歴史を勉強してた方がいいと思います。」とアイロニカルな回答をしたけど、先生は妙に満足してくださったので安心しました。

 

高校一年生のみんなにとって、価値ある1時間だったのかどうかはわからない・・。けど、岡田先生(SOIF共同代表仲間にして、進路指導部長様)によると生徒たちの感想文がアツかったらしいので、まあ良かったんじゃないかな。

 

アツかったからかはわからないけど、講義中にいきなり鼻血を噴出した男の子がいて、けっこうな出血量でちょっとビックリ。若さ・・なんですかね。鼻血が出るような講義をした、、といってネタにさせていただきます。

 

講師としては楽しかったし、同じ内容で社会人や大学生とも話しをしてみたいので、機会を作ってみたいな・・とかも思いました。

 

講義の機会をくれた岡田先生、ありがとー。

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