耽典籍:U理論と、さまざまな個性と同じ時間を過ごすこと。『虹色のチョーク』小松成美さん(幻冬舎)

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読みにくい、と意外にも思った。小松成美さんの本なのに。読む者を引き込み、一気呵成に取材対象のストーリーを追体験させる卓越した伝え手の本なのに、読みはじめてもスピード感をおぼえられず、戸惑った。

 

手探りをしながら書き進めているみたい。

 

そもそもなぜ日本理化学工業なのか。いや、素晴らしい会社なのは知っている。というより世間に流布されすぎている。メディアでもさんざん取り上げられた有名な会社を、今さら小松さんが書くことの必然性があるのか、疑問だった。

 

小松成美さんだから伝えられるものは何なのか。

 

そんなことを考えながら読み終えて、結局は得心に至り、卓越した伝え手の伝える技量に感服してしまった、そんな本。

 

この本は、U理論だと思う。


U理論は、現実を観察し感じる(Sensing)、既成概念を手放す(Letting Go)、内省から知が現れる(Presensing)、知が結晶化する(Crystallizing)、行動し実体化する(Prototyping)という5段階をもつ(と理解している)。

 

『虹色のチョーク』は5章に分かれており、まさにこのU理論の5段階に沿っている。

 

第1章は、日本理化学工業の今の姿(Sensing)。知的障がいの方たちが働く様子と、会社の仕組み、経営者の意思。通常の本であればここで、素晴らしい会社だねといって終わりだろう。

 

第2章は、働いている障がい者の方の家族の話し。働く人と、取り巻く家族の個別の想いが描かれる。障がい者という記号が剝がされて(Letting Go)、それぞれの人の生き様が立ち顕れてくる。

 

第3章が一番のドラマ。知的障がい者を会社の主役に置くことに疑念を感じていた現社長が、気づきを経て変化をし(Presensing)、多くの社員とともに会社の仕組みや事業をより強固なものにする。U理論でいうUの底、出現する未来から導く章といえる。

 

第4章は、会長のインタビュー。障がい者とともに働く意義に気づき、事業にしていくまさに結晶化(Crystallizing)の歴史。

 

第5章で、障がい者雇用第1期生の方の話しとなり、その描写が美しくて感動をおぼえた。53年間も日本理化学工業に勤め、働き手として今の会社を作ってきた(Prototyping)人。その人が今、会社を離れて一人の人として何を思うのかが記されることで、読み手は障がいを持つ人、老いる人、さまざまな人の多様な生き様を認め合うことを思い、本は終わる。

 

冒頭に僕が感じた読みにくさの理由は、すぐにわかる。

 

平面的に日本理化学工業を切り取るのではない、会社に関わる人たちを総合的に、さまざまな角度から描こうとする。そうすると、どこまで取材するか、それをどう伝えるか、伝え手としても手探りにならざるを得ないはず。読む者としても、話しの主体がばらばらだし、障がい者の方の家族のような周辺的な人の話しにもなるので戸惑わざるを得ない。

 

しかしだからこそ、第3章、4章の核心に迫るときに、知的障がい者という記号ではなくそれぞれの働く人とその家族の姿が想起され、一気にそれらが経営者の決意に収れんされていく効果があるのだと思う。

 

この本を、小松成美さんはどうやって書いたのだろう。日本理化学工業に関係する人たち、社内の人、その周辺の人、周辺の少し外にいる人まで取材をして、それをどう配置すれば読み手に伝わるのかを入念に構成したのかなと思う。

 

その取材力と構成力は本当にすごいなと思い、ただただ感服し、伝えるということの勉強にもなる。卓越した伝え手だから書けた本だと思う。

 

本の中身について。

 

一番劇的な場面は、第3章。経営者として奮闘するなかで知的障がい者雇用に疑念を感じていた大山隆久社長が、障がい者を主役にした会社経営の価値に気づく変化のくだりだった。

 

「明確な瞬間というのはありません。けれど、1年もすると心が整い、父が作った大河のような流れが、どれほど大切でありがたいものなのか、わかっていったのです。」「隆久さんは、それぞれの社員を知的障がい者とひとくくりにしていた自分を省みた。」「経営者として先頭に立ち、彼の思う改革に躍起だった隆久さんは、現場で社員たちと同じ時間を過ごすことで、小さな感動を積み重ねることになった。」

 

難しいことではない。だからこそ極めて難しいことかと思う。現場に身を置き続け、考え続け、感じ続けなければ変化はうまれない。

 

既成概念を手放して、出現する未来から学ぶ。そのためには現場で時間を過ごし、小さな感動・経験を積み重ねる。どんな人でも、特にリーダーであればなおのこと忘れてはいけない、しかし全くできていない人も多いことだと思い、心に刻むようにしたい。

 

もう一つ、大山泰弘会長の「五方一両得」という語。ここでは知的障がい者を主役として社会に必要とされる商品を送り出すことでの、国・会社・障がい者・その家族・福祉施設で働く人の五方に益をもたらすことをいっているが、この言葉は他でも使いたい。

 

三方よしという人は多い。しかしそこに人間とを取り巻く環境や未来のことまで含めれば、五方くらい考えなければ。これからはそういう時代だろう。それを表現する言葉があることを知って、勇気を得た。

 

この本が書かれた背景には、残念ながら相模原殺傷事件があるのだろう。本にもところどころに事件への言及がある。

 

いかに広範囲の取材とはいえ、本は日本理化学工業にゆかりのある人の話しに留まる。しかしそのさらに外には私たちがいる。チョークやキットパスを使ったことがあろうとなかろうと、私たちも日本理化学工業で働く知的障がい者の皆さんと一緒に、同じように個性をもって生きているのだ。そのことを忘れないこと、さらにできることなら皆さんと同じ時間をすごしていることを思い、小さな感動を積み重ねること、大山隆久社長のように。小松成美さんの最も伝えたいことは、そんな所にあるのではないかと思う。

 

障がい者だけではない。本の題名『虹色のチョーク』の虹色は、LGBTなどのセクシュアルマイノリティを想起させる。

 

障がいだろうがセクシュアリティだろうが他のことだろうが、世の中にはさまざまなマイノリティ性を持つ人たちがいる。というか、誰もが何らかのマイノリティ性=個性を持つ。

 

さまざまな個性と同じ時間を過ごし、それを強みに変えていく社会の美しさを描いたのが、『虹色のチョーク』だと思う。

 

最後に、この本を勧めてくれたのは、小松成美さんとも近しい我が変友 武田真由子氏である。動物看護などに取り組む彼女からは、人の多様性といって対象を人間に限り、犬や猫や兎を対象としないことは狭量と映るかもしれない。本当に、そうだ。

 

未来を望むとき、多様な人それぞれを想うだけでは足りない。動物たちも木々も土や水も想わなければいけないし、それができる時代なはず。そして、キットパスなどの日本理化学工業の商品はそこもかなえられている。

 

武田氏は、高知に移住してキットパスをもちいたグラフィックレコーディングを行ったりしているが、今度遊びにいったときには一緒にお絵かきでもしようかな、なんて思ったよ。

 

『虹色のチョーク』小松成美さん(幻冬舎)。

 

虹色のチョーク

虹色のチョーク