生産性を下げよう

人事イベントで、生産性についての示唆が2つあった。

 

一つは、生産性とは、働く人が機嫌よく仕事オモシロいなぁと感じて働く度合いでいいのかな、ということ。それを企業の業績に連動させることは経営やマネジメントの領分で、それを戦略人事というのだろうと思った。

 

もう一つは、高橋俊介先生のお話しから。上記と定義を異にして生産性を成果や業績で測るいわゆる生産性とするなら、生産性向上とは短期的功利性をより求めることとなり、正解主義・答え教えて症候群を助長する。変化の時代にそれでよいのか、ということ。

 

NPOなどのソーシャルセクターで仕事をしていると、このことは強く感じる。

 

社会課題の最前線での仕事は、正解がないし、ゴールもない。何が正しいのか、正しくないのかわからない。課題がいつ果てるのかわからない。答えだと信じて行うことが、反作用で人を不幸にすることもある。やり続けても、一瞬で無に帰すこともある。

 

そして何で効果測定していいのかわからないことも多い。ある地域で売買される子供の数なら数えられるけど、マイノリティのエンパワーメント指数なんてどうやって測定するのやら。

 

 正解主義・答え教えて症候群とは対極の世界。

 

いわゆる生産性とは程遠い世界で、ソーシャルセクターで尽力する人たちは(僕を含め)活動していると思う。それでも、この道が目指すものへ通じる道だと、生産的だと、信念をもって続けている。

 

こんな一寸先は闇の領域に、正解主義の人、高い生産性とか圧倒的な成功体験とかが好きな人が入り込んできたらどうなるか。

 

僕が属するEDAYAは、フィリピンの山岳少数民族の文化をモチーフにしたアクセサリーを作り販売しつつマイノリティのエンパワーメントを目指すという実にわかりにくい活動を行うが、学生のインターンを定期的に現地に派遣してきた。

 

まあEDAYAの一員になりたいという子たちなので、単純な正解主義などとは程多いチャレンジングな若手たちだけど、正解もゴールもない世界で自分で道を選択するということにはあまり慣れてはいない子がほとんど。

 

一応、フィリピンに出発する前に課題とゴールは与える。イベントの開催とか、資金集めとか。じゃないと何をしに行くかわからなくなってインターンの体をなさないから。だけど、現地で活動するなかで上手くいかないことがほとんど(というか100%)。

 

日本側のメンターとして、インターン生が行き詰ったときに面談をするのは僕の役割なのだけど、その時にはじめて、僕たちが取り組んで着ることは正解もゴールもない活動なこと、上手くいったかいかないかなんて誰にもわからないこと、それでも自分でこれが一歩だと思うことを信じてほんの少しでもやり切ってほしいということを伝えている。

 

成果とか業績にはこだわわらない、とっても生産性の低いメンタリングだと思うが、こんな経験や話しから何かを得て、その後自分のキャリアを主体的に選び取ろうとする生き方をしてくれる子が多いのは嬉しい。

 

ある種の失敗体験を経て、マインドセットして正解もゴールもない世界で何かに取り組む思考を身に着ける経験は、とても大事なんじゃないかなと思う。

 

それは、意図的に生産性を下げる経験なのかもしれない。

 

ソーシャルセクターでは、と書いたけど、別にビジネスの領域でもなんでも、世界には正解もゴールもなく、常に早く変化し続けている。その中で、その時点での正解だけを求めて短期的功利性に根差した生産性向上に重きを置き続けたら、変化についていけずに生き残れないだろう。

 

組織の多様性も同じようなものだ。短期的功利性で判断するなら、多様性などない単一の組織のほうが成果が出る。生産性が高い。でも変化にしなやかに対応して長く生き残るには、生産性を下げて多様なチームを作るしかない。

 

生産性を下げる勇気をどれだけ持って、実践できるかが、企業にとっても個人にとっても、社会にとっても、これからとっても大事なのかもなと思う。そして、生産性の低い活動をがんばりたいな、とも思う。

 

ま、冒頭のように生産性を働く人が機嫌よく仕事オモシロいなぁと感じて働く度合いと定義して、それをガンガン向上させられるのが一番ですけどね。

 

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