縁結びの国のエシカル

縁もゆかりもない土地で、縁もゆかりもない人たちと、縁もゆかりもない国で作られた服を着る。島根でのエシカルファッションショーを、そんな風にいうこともできるだろう。

 

正直なところ、僕自身ずっと腑に落ちないことがあった。なぜ島根なのか。僕たちがわざわざ東京から行く意味は。エシカルファッションは求められているのか。世界各地から作り届けられた服を持ち込む必要性は。そこにそれらしい解は得られず、「なんで島根でエシカルなの?」と聞かれれば、曖昧にニヤついて、ずっと蓋をしたままで、ファッションショーの準備を進めてきた。

 

答えは人の中にある。ショーを終え、キャンプ場のロッヂで飲み会をひらいているとき、ずいぶん雑多な人たちが集まったなとつくづく思った。エシカルファッションショーだけど、エシカルなんて関係ない。モデルや撮影が好きな人、ドライバーで旅行に参加して巻き込まれた人、自分の氏姓の由来を知りたい人、会社外の人とのつながりを持ちたい人。学生だ社会人だなんて微差で、それぞれが個々の価値観で、勝手な目的で参加している。同質性なんかない。

 

多様で、実に心地よかった。そんな雑多な、縁もゆかりもない人たちが、「島根でのエシカルファッションショー」という名目で集まり、なんだかとても仲良くなっているのが不思議で、面白くて、こういうのを縁結びというのかな、、と思った。

 

島根は、「縁結びの国」といわれる。そしてエシカルという概念の日本語訳を考えるとき、僕はこの「縁」という言葉がよいのではと思う。

 

何かとなにかが、明確にではなくてもつながっていることを縁という。エシカルとは、まさにこの縁を意識することだろう。あなたの服が、インドの綿農家やバングラデシュの縫製工場とつながり、そこに生きる人の暮らしと一つになっているという縁。あなたの携帯電話が、コンゴの鉱山や中国の機械工場とつながり、そこで働く人の営みと一つになっているという縁。さらに、その服や携帯をどう使い、いつか捨てることで、未来のどこかの誰かにつながっていくという縁。そんな縁を折々に思いおろそかにしないことがエシカルだと思う。

 

エシカルを身近な価値とする人は、縁を感じ取れる人、縁結び力の強い人ではあるまいか。

 

そう思い至れば、「縁結びの国」島根で、エシカルを発することの意味合いも見えてくるように感じた。縁もゆかりもないと思っても、意外と縁は結ばれてるものだよ、私とあなたと世界はつながっているものだよというエシカル体験≒縁結び体験を届けるため。それが「なんで島根でエシカルなの?」の答えと思う。

 

「縁起」という言葉がある。信貴山縁起のように、ものの起こりを伝えるストーリーのことでもあり、縁起物のように吉凶を伝える運勢のことでもある。僕はエシカルの日本語訳が「縁」なら、エシカルファッションの日本語訳は「縁起のいい服」であると思う。

 

かかわる人にも自然にもよい服は、よいストーリーを、よい縁起を持っている。そんな服を着ることは自分を健やかにすることだと思うし、日常に吉兆を与える縁起の良さを身に纏うことだろう。

 

縁もゆかりもない縁結びの国で、縁もゆかりもない人たちと、縁もゆかりもない国で作られた縁起のいい服を着ることで結ばれる何かを紡ぐ。そう考えると、島根でのエシカルファッションショーは実に面白く価値ある企画だった。たくさんのブランドさん達から数えきれない縁を集めて、島根の皆さんにも新聞等を通じて発信がなされて、ともに旅した人たちにも縒り合わさるものがあって。。そして何が紡がれるのかは、まだこれからのお楽しみなのだろうけど。

 

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