耽典籍:女性活躍推進とラナ・プラザ。『990円のジーンズがつくられるのはなぜ?』長田華子(合同出版)

著者の方にお会いしたいな、というのが感想で、それはこういった問題を地に足をつけて研究している年齢の近い研究者の方がいて嬉しかったから、でもあるが、茨城大学の先生だから、という理由が大きい。

 

茨城は僕の出身地で、茨城大学は父母の通った大学で、NPOや社会事業は不毛の地なのだけど、そんな所で研究と教育を続けてくださっていることに感謝をしたくなった。

 

・・・という個人的感想はさておき、良著だと思う。若い人や、こういった問題に興味を持ち始めた人にはもちろん、フェアトレードエシカルの領域で活動をしてきた人にもお勧め。全体像が、ニュートラルな視点でしっかりとまとまっている。

 

各章の構成がいいな、と思った。初めにバングラデシュの縫製工場で働く女性たちの個に焦点を当て、次に彼女たちの背景となる社会事情を見て、一旦俯瞰的に国の成り立ちや歴史を眺め、そこから核心に近づいて産業の話が来て、縫製工場の労働環境について、ラナ・プラザの崩落に至り、また視座を変えて日本側から問題を見て、転じてベトナムや中国の実態にも触れ、対して世界が問題をどうとらえて動いているかを伝え、最後に私たちが何をできるかで終わる。

 

一つ一つの事実を押さえながら、多角的に問題を見られるようになっていて分かりやすく、工夫されている。こういった本だと、ファストファッションを製造販売するグローバル企業を非難する展開もあるけど、本書はそういったレッテルは貼らず、企業側の対応も触れていて、そのニュートラルさにも好感が持てた。

 

特に第6章「ラナ・プラザ崩落事故は、どのようにつぐなわれたか?」という段落の前後は良し悪しの判断がつかないトピックが多く、考えさせられる。

 

本書を読んで一番考えてしまったのは、女性が「力をつけて」いくための仕事、夫や家族からの自由を求めるための仕事として、縫製工場があったということ。

 

「工場での仕事は、従来の家政婦や建築現場の労働とは異なるものでした。それは、毎月決まった額の給料をもらえ、決まった労働時間で働き、休日があり、さらには同じ境遇の女性たちといっしょに同じ場所で働くことができるというものでした。女性たちにとって同じ境遇の女性たちとともに働くということは、「力をつける」うえでとても大切なことでした。」

 

「縫製工場での労働も過酷です。それでもバングラデシュの貧しい階層の女性たちが縫製工場で働きつづけたいと思うのは、働くことによって女性たちがさまざまな自由を得ているからです。」

 

女性活躍推進の先に、ラナ・プラザがあったということなのか。

 

 僕はEDAYAという、マイノリティのエンパワーメントを目指す活動に関わり続けているが、エンパワーメントの先が縫製工場という帰結があるのだろうか?

 

ふと思えば、『女工哀史』だって女性がエンパワーメントされた帰結なのかもしれない。でもそれでいいのかな?よくないよな。。考えると頭がぐるぐるしてしまう。

 

加えて考えてしまうのが、縫製工場で労働の対比として出てくる家政婦(家事労働者)について。日本でも「外国人家事支援人材」の受け入れが始まった。フィリピン人とかの家政婦さん。

 

住み込みの家政婦と、家事代行サービスでは結構異なることも多いと思うけど、家事労働者について、やはりちゃんと知らないとな、、と思う。

 

・・・という、シンプルにまとまっているけどいろいろと考えてしまう本でした。若い方に読んでもらって感想、気になる点などを聞きたい。

 

『990円のジーンズがつくられるのはなぜ?』長田華子(合同出版)。

990円のジーンズがつくられるのはなぜ?: ファストファッションの工場で起こっていること

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