耽典籍:クリスマス、他者と出会いに周辺に行き、傷つくということ。 『教皇フランシスコ いつくしみの教会』教皇フランシスコ(明石書店)

クリスマスです。

 

教皇フランシスコによる説教集。

僕はキリスト教徒ではないけれど、それゆえにローマ教皇が今の世をどう捉え、教徒に向けて、広く社会に向けて、さらに未来に向けて、何を訴えかけているのかを知りたかった。

 

教皇フランシスコ いつくしみの教会』教皇フランシスコ(明石書店)。

教皇フランシスコ いつくしみの教会――共に喜び、分かち合うために

教皇フランシスコ いつくしみの教会――共に喜び、分かち合うために

 

教皇の問題意識はこんな処にあったのかと驚き、共感し、深く考える説教集でした。

 

「他者に出会うために自分から出て行き、もっとも遠く離れた「周辺」へ行き、わたしたちの兄弟姉妹に会うための第一歩を踏み出すこと」

 

というのが、教皇が伝えたい一番のことだと思う。いくつもの説教で、何度も出てくる。「他者と出会え」、「「周辺」へ行け」。神は私たちの処へ思惑も条件ももたずに出向いてきたのだから、私たちもそれをまねて他者と出会いに行こうと、教皇は訴え、行動を求めている。かつて極東まで他者と出会いに来たザビエルのいたイエズス会出身、かつ南アメリカ出身の教皇ならでは。

 

これは、キリスト教徒のみを念頭においたメッセージではないだろう。他者と出会おうとせず、周辺のことなど思い巡らさず、自ら出向いて行こうとしない人の声が、また大きくなろうとしている。

同時に、世界はますます密接につながっていく。イエスの時代であれば、ガラリア湖あたりの磔刑が日本に影響することはなかったろうが、現代ではシリア砂漠の斬首刑が日本にも影響する。

周辺に出向いて行き他者と出会い、彼らが兄弟姉妹だと知ることが、求められている。

 

そんなに大げさに考えなくても、会社。

一つの組織にのみ逼塞していては、激流のような社会変化の中で会社も社員も生き残れない。周辺、、まで行かなくてもいいけど、社外の他者と出会い、そのリソースを活用できるようにならなければ。また、パラレルキャリアの話になっちゃうけど。。。

 

他者と出会うことは、時には危うい。その危険に言及した上での言葉が重い。

「わたしは病んでいる教会よりも何千倍も傷ついた教会を望んでいます。」

 

社会に向けて何かを訴えようとする仲間たちは、僕も含めて傷だらけだけど、キリスト教的な表現をするなら傷だらけだからこそ祝福があり、一人ひとりが教会になれるのだと、思う。

 

Merry Christmas