「攻めのパラレルキャリア」と、「守りのパラレルキャリア」と。
パラレルキャリア、ハイブリッドキャリア、2枚目の名刺について話すことが多くなっているけど、質問・相談を受けていて「あれっ?ちょっと観点というかイメージに齟齬があるかな?」と思うことがある。
何でかなと考えていて、パラレルキャリアといっても「攻めのパラレルキャリア」と「守りのパラレルキャリア」と、どちらについて話しているのかがズレているんじゃないかな、と思った。
「攻めのパラレルキャリア」というのは、例えばイノベーションの源泉としてとか、より充実したライフスタイルのため、といった観点で語られる。
今の働き方・生き方でもいいだろうけど、未来に向けてより豊かに(もしくは創造的に等)なるためのパラレルキャリア、という感じ。
これだと、パラレルキャリアは能力的・時間的もしくは金銭的に恵まれている人の余技みたいに思われてしまうことも、なくはない。
一方で「守りのパラレルキャリア」というのは、仕事の能力を磨くために、自身で自律的キャリアを築くため、という観点。自己防衛的な感じ。
企業の人材育成能力が低下しているため、自分から社外に出てどこに行っても通用する能力(ポータブルスキル)を磨かなければ、企業に何かあったときに路頭に迷う。そうならないための、パラレルキャリア。
僕の場合、どちらかというと「守りのパラレルキャリア」について話す。
会社に依って立つ生き方など古びている時代に、自分自身のプロフェッショナルとして自律的なキャリアを自覚的に築かないと生きていけないよ、くらいに思っている。
自分の身は、自分で守らないと。仕事なくなっちゃうよ。
8月2日にやるイベント(下記)は、そこら辺の危機意識みたいまものに根差している、気がする。
2020年からのハイブリッドキャリア ~「働くこと」のリ・デザイン~ | Facebook
「守りのパラレルキャリア」というと守りなので消極的かと思われるかもしれないが、生存をかけた自己防衛なのですさまじく攻撃的、かつ切実だと思う。
・・・実のところ、この「攻めのパラレルキャリア」と「守りのパラレルキャリア」という対比、ふと思いついたくらいの段階なので、しばらく考えてみようかな、、と。