耽典籍:それぞれの、ポリアモリーの芽を思い出して。『ポリアモリー 複数の愛を生きる』深海菊絵(平凡社新書)

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

ポリアモリー 複数の愛を生きる (平凡社新書)

 

『ポリアモリー 複数の愛を生きる』深海菊絵(平凡社新書)。

 

ポリアモリーの芽は、誰もが自然に持つものだと思う。

 

「ポリアモリー?何だそりゃ?!」と思った方は本書を読んでいただいたり、Webで調べていただいたり、そして機会は少ないだろうけどポリーラウンジなどで実践している人から話を聞いたりしてほしい。

 

子供のころを思い出せば、「A君も好き、B君も好きで、Cちゃんも好き」といった、性別も越えたポリアモリーの芽が誰にもあったと思う。

自我が育つとともにその芽は、一人占めしたいがために相手に一対一対応を求め、自分も一対一対応に縛られるという独占欲に圧迫される。

そして、民法典の名残か戦前のレジームか日本文化の残滓かわからないけど、いまだに道徳的な顔をして人を縛る家制度という埋め込みプログラムによって、駆逐される。

 

ポリアモリーの実践は、それなりの自律心や関係性構築が必要なようで難しいとしても、自分の中のポリアモリーの芽を思い出して、愛するということの選択肢を広げておくことは、人生を生きやすくするための一助なんじゃないかな。

 

というか、ポリアモリーは隠然と強固な拘束力を持つ家制度を崩す、かなりの危険思想なんじゃないか、と思ってちょっとワクワクする。

それぞれが、自分の中のポリアモリーの芽を思い出すことが、社会を変える通底音になったり、、して。

 

と、いうわけで多くの人に「何これ?」と興味を持って欲しいので、この出版は嬉しいし画期的だと思う。

 

 

書籍について。

海外(アメリカ)のポリアモリー実践者の姿が数多く紹介され、何故そのようなライフスタイルを選んだか、パートナーたちとの関係性や嫉妬や性や家族のあり方などを知ることができる。

 

面白かったのは、「ポリアモリー倫理」という章。複数愛というイメージから放埓な印象をもたれるけど、ポリアモリー実践には自身も他者も尊重しつつ関係性を維持する高い自律性が求められるという話はよく頷けた。

「わたしの目に映るポリアモリストの姿は、自由を立派に実践するために自己に配慮するギリシア・ローマ人に重なる。」という大ゲサな一文に納得してしまった。

 

愛するという関係性を自律的に選択し続けていくと考えるなら、ポリアモリーは極めてエシカルなのかもしれない。

 

 

ちなみに、自分のこと。

昨年末だったか、ポリアモリーという言葉を知って、その集まりポリーラウンジが開催されることを知って、知り合いとか全然いないけどおっかなびっくり行ってみた。

もう本当に、おっかなびっくりでしたよ、正直。だってどんな思考、志向の人がいるのか全然わからないんだもん。

 

でも行ってみてすごく楽しかった。ポリアモリーについても共感できたし、やはり人生について試行錯誤しながら選択を考えていこうとチャレンジする人が多い気がして、話が面白かった。

ポリーラウンジは(主催が大変お忙しい中だそうだけど)、出版のこともあり7月にまた開催してくれるみたい。物珍しさで来られてもご迷惑をかけるだろうと思うけど、僕は参加するのでよろしければご一緒しましょう。