Chérie COCO 川口莉穂さんとの対談イベントを終えて(前編:対談という形式について)
昨日、アフリカ・ベナンの浴衣・小物ブランド「Chérie COCO(シェリーココ)」代表の川口莉穂さんと対談イベントを行ったのだけど、終わってからじわじわと「川口さんという方は面白いなぁ・・」という思いが強まってきたので、感想メモを書いてみる。
まず、今年になって僕は対談イベントばかりやっているけど、これは対談というよりインタビューみたいなもので、「徹子の部屋」方式と呼んでいる。現在の活動を軽く紹介していただいた後に、過去の生い立ちや活動にいたる経緯を聞いて、現在を越えてこれからの展開に至る。Uの谷をイメージして話しを聞いているのだけど、根底には5年くらい前にU理論の中土井さんがパタゴニアで催していたダイアローグUというイベントの記憶があり、それには遠く及ばないけどエッセンスの一部を参照できたらなと思っている。
いい点は、準備がいらない。登壇者もプレゼンを用意したり何を話そうと考えたるする必要がない。悪い点は、準備ができない。その人からどんな言葉や一面がこぼれ出るかわからないので、大枠の組み立てや聞いとかなければいけないポイントは抑えるが、あとは出たとこ勝負。そして、気が抜けない。あ、ここもしかしてUの谷につながる部分かも、という要素を見逃さないように頭をクリアにして話しを聞きつづけないといけない。さらに、タイムマネジメントが難しい。話しがどう流れるかわからないので。
なので、こういう対談イベントばかりをやっているとアドリブだとかぶっつけだとか誉められてるのかdisられてるのかわからない言われ方をされるけど、そして実際そうだけど、でもちゃんと事前の積み上げはあるのだ。
人の話しを聞くという長年&日々の実践があるし、こんな話しを聞いてみたいなぁという自分なりの興味関心は持つ。ただ、登壇者はこんな人かなという仮説とか、こういう風に話しをもっていこうとかいう台本はもたない。無心に、空に。
その無心を作るのが一番大事かなと思ってやっている。登壇者も無心で来てもらうために、大枠の流れは伝えても事前の質問項目などはなし。当然、資料などの準備もなし。さらにトークの早い段階で虚を突いたり困ったりする質問をして、頭のブロックを外してもらえればより良い。
そんな状況で、ご自身の生い立ちから活動までの経緯などを話してもらいつつその先にあるビジョンについて伝えてもらうのは、結構大変なのかもしれない。さらに、浅い人生、薄いビジョンしか持っていない人であれば、あっという間に話しが終わってしまう。逆に、深みのある人であれば驚くような気づきがあって、もっといろいろ聞きたくて、時間が足りないけどすごくいいイベントできたなと自賛したくなるようなこともある。
だからかなり賭けの割合が大きいやり方なのだけど、ゆえに価値があると思う。
対談イベントをやり続けてソクラテス流産婆術にまで至れればいいのだけれど、とにかく思うのは黒柳徹子はすごいなぁ・・ということだったり。。
(長くなったので、川口さんについては後編へ続く・・・)
ホモ デウス(Homo Deus)はTechの夢をみるか? Ethicの夢をみるか?
『サピエンス全史』で話題のユヴァル・ノア・ハラリ教授の新刊『ホモデウス(Homo Deus)』のDVDを見て、これからはTechとEthicの距離がずーっと縮まっていくんだろうなと思った。
新刊をテーマにした講演を収録したもので、『ホモデウス』のエッセンスが1時間半につまっている(のだと思う。だって新刊まだ翻訳でておらず読んでないから。)。
『サピエンス全史』とはまた違った刺激があるけど、ネタバレになるので省略。ただ印象的なのは、Googleが今は生物学者を雇っているが、やがて哲学者を雇うのでは、といった視点。
AIのような技術がより敷衍すれば、比較不能な価値の迷路をたぐる哲学をどう持てるかが、人と機械、人と自然、そして人と人との差異をより決定づける。その人の哲学がより重要となる。
その時、TechnologyとEthicsは溶け合うように近接化していくのだろう。
ファッションなどの文脈でいうエシカルよりも、もっと元の意味に近いEthical(倫理)に目が向けられることになり、それが人の暮らしの端々に深くかかわってくるんじゃなかろうか。
猫も杓子も、近年は何とかの一つ覚えのようにTechと唱える。〇〇Techという妖怪が巷間を徘徊している。でもしばらくすれば、この〇〇Techはすべてオセロゲームの黒白のように〇〇Ethicに変わっていくかもしれない。
FinTech→FinEthic (エシカル金融とか、広まりつつあるよね)
EdTech→EdEthic (これは何だろう、イエナプランとか反転授業とか?)
HRTech→HREthic (エシカル人事はココ!)
AgriTech→AgriEthic (単なる有機農法とかとは違うはず)
FoodTech→FoodEthic (フードロスとかサルベージパーティーとか?)
MedTech→MedEthic (かなり広がりありそう)
こんな〇〇Ethicという妖怪がウォッチされまくる時代が、もうすぐ来る。
それを予期して、〇〇Ethicを切り拓いている人を集めてカンファレンス的なことやりたいな。上手く男性ばかりなら、エシカル男子の会の発展形として。。
ということを、セクシー知的ハゲのユヴァル教授のDVDを眺めつつ思う。。『ホモデウス(Homo Deus)』翻訳出版楽しみ。
ホモ・デウスDVD BOOK ~全世界でベストセラー『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリ最新作 (宝島社DVD BOOKシリーズ)
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はぐくみあうこと
Facebookの「過去のこの日」によれば4年前、2013年6月22日は「食文化シリーズ第2弾!~マレーシア料理から学ぶ「ハラル食」~」というイベントを開催していた。
管理栄養士のみんなと各国の料理を食べながらその文化に詳しい人の話しを聞くという、連続ものの異文化交流&食育イベント。マレーシア料理屋でひらいたこの会に遅刻してきたお役人が、柚木理雄さんだった。
柚木さんとの友達記念日4周年というわけですけど、この4年、SOIFがありエシカルペイフォワードがあり、柚木さんはLittleJapanに至り、僕はEDAYAに腐心しエシカル男子の会をやりハイブリッドキャリアでTEDxに出てなど・・・なんだかいろいろありました。
さらに。
「過去のこの日」によれば2013年6月21日夏至の夜にHASUNA本店でキャンドルナイトがあり、僕はそれに行ってブローチを買っている。この時、店長をやっていた村松絵美さんと初めて会った(はず)。
今ではエシカルについて相談しあったり、島根までファッションショーに行ったり、SOIFを一緒に運営している村松さんとも、友達記念日4周年というわけです。2013年に会ったときは遠慮がちに挨拶くらいしかしなかったけどね。
村松さんもこの4年、いろいろあったろうなと思う。
それぞれ、紆余曲折があっても自分の持ち場で少しずつ歩み続けている。切磋琢磨しながら。そんな実感がある。
4年前に買ったブローチの名前は、「hagukumi(はぐくみ)」という。はぐくむとは、大人や先輩が子供や後進を育てるという意味合いにとられるけど、それだけではない。横に並びあうものが、お互いにお互いをはぐくみあうこともある。
柚木さんとも村松さんとも、はぐくみあってきたなと思う。し、これからもそうだと思う。
社会に向けた活動は、時間がかかる。というかそもそもゴールや終わりがない。全貌も見えないし正解もない。だから続けること、自分の持ち場で一隅を照らし続けることが何より大事。
そのとき、信じられる仲間をはぐくむこと、お互いにはぐくみあえることができたなら、とても幸せだと思う。
なんて、2013年6月を思いおこしながら徒然に。
何度か言っているけど、4年前に知り合ったときは2人とこんなに親しくなると思わなかったよ。村松さんとは、島根のエシカルファッションショーで撮った写真がカップルっぽいって取り沙汰されるしさ。
そういうのが、人生の面白みなんだろうねと、「hagukumi(はぐくみ)」のブローチに話しかけてみる。
影響を受けた本を聞かれ・・
誰よりも僕の秘密を知る女性がおり、彼女と四方山話をするなかで影響を受けた本は?と聞かれて、ふと出てきた3冊。
・『高杉晋作―幕末をかけぬけた男 』(講談社 火の鳥伝記文庫):小学校
・『富士』 武田泰淳(中公文庫):高校
高杉晋作の自伝は小3くらいで読んだ。初めて、買ってもらうのではなく自分で本屋に行き、選び買った本。
並みいる偉人がいるなかで、なぜ小学生にとってはマイナーな高杉晋作を「これだ!」と思って選んだのか、よくわからない。知行合一なところ、人や国をへだてぬところが気に入り、辞世の句に感じ入ったことを憶えている。
中学に入りワンダーフォーゲル部に属してから読んだ『哀愁の町に霧が降るのだ』では、大仰にいえばマネジメントを学んだ(一応、僕はワンダーフォーゲル部という体育会系の部長だった)。将来イラストレーターや弁護士という偉才になる仲間たちと、その多彩さを活かしながら過ごす愚かな日々の話しは、きっとダイバーシティ&インクルージョンのヒントになった・・んじゃないかな。こじつけだけど。
そして『富士』。ちょうど埴谷雄高『死霊』が完結するという文学的事件があり、戦後文学を読み漁っていたなかで、いちばん武田泰淳に惹かれた。逆説・矛盾が武田泰淳の論理の筋を成していると思い、全否定こそ全肯定というような思考法はしっくりくる。
ものすごく本は読んでいたし、影響を受けた本ももっとあるはず。でも今日ふりかえって出てきたのは上記で、まあ偽りないと思う。
ちなみに好きな本は影響を受けた本とちょっとニュアンスが異なる。高校までに読んだ本の中には、いまだに好きな本と問われれば真っ先に挙げるヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』が含まれる。
追加で。あと影響を受けた本(のシリーズ)をもう1つ挙げると、『赤塚不二夫のまんが古典入門』で、古事記とかは好きで何度も読んだ。要は古典のダイジェスト版なんだけど、赤塚不二夫の剽げた漫画(光源氏がイヤミだったり・・)とともに解説のクオリティは高くって良書だったと思う。また読みたい。。
寄り添うこと:SOIF
人びとが見落としていたり、手を伸ばせないでいる「もの」「こと」を、社会のフロンティアと呼ぶのだろう。そんなフロンティアで創意工夫を凝らす人を、ソーシャルイノベーターと呼ぶのだろう。
ソーシャルイノベーターと知り合い、活動に触れるイベントが、SOIF。
今回もまた多様な団体にお越しいただいた。
障がいがあろうと楽しめるユニバーサル映画館、精神障がいや路上生活の人たちと都心で作る居場所、不妊への理解と支えあい、紛争やテロと素顔の若者たち。
いずれも、見落とされたり手を伸ばされなかったりするフロンティアで、その最前線におられる皆さん。
テーマを設けず、別々の領域で活動する団体にご登壇いただいているのだけれど、今回もまたずいぶんバラバラだなぁと(自分たちでセレクトしたくせに)思っていた。
それもそのはず、フロンティアでの活動は他に類似のないものなので、バラバラであるということは皆さんがまさに先端で牽引しているという証拠なのだ。
でも、なにか通じるものはあるはずで、今回それは「寄り添うこと」なのかなと感じた。
障がいをお持ちの方に寄り添い映画を見る、路上の人と寄り添い暮らしを思う、不妊という個人で抱えがちなことに寄り添いともに悩む、ソマリアのギャングと寄り添い同じ若者じゃないかと語る。
この「寄り添うこと」をそれぞれのフロンティアでバラバラに実践し続けている方たちにお越しいただいたと、そう思う。
「寄り添うこと」。同じ人として、仲間として寄り添うことは、絶対に大事。
SOIFのいいところは、自分が興味があること以外にも、こんな取り組みがあるんだ、こんな人がいるんだと知り、目を向けて手を伸ばせること。
今回も、紛争地の立て直しや障がいを持つ人の暮らしや教育や、、さまざまなポイントが刺さった人たちがご来場くださった。もちろんご自身が興味あるところの話しを聞いて、動き出してくれればいいなと思うけど、紛争の話しを聞きにきたけど不妊の話しで目鱗とか、そういう機会になっていたらいいな、と思う。
次回12月も面白い団体をお呼びしたいなと、やる気に満ちました。
うこ
耽典籍:自分を慈しむための魅力。『魅力の正体』池原真佐子さん(大和書房)
自信をもてと言ってみても、自信はサプリメントで補えない。毛布をもてば安心できるかもしれないが、知恵あるライナスだって自信があるようには見えない。というかライナスは自信がないタイプだろう。
「自信がないんです」と相談してくるのは女性が多い。日本には、いや世界には女性をディスカレッジするしくみが顕在潜在にまだたくさんあって、自信をもてないように仕向けられやすいから。本書にもある、素晴らしい才能や実績がある女性でも自己評価が低く、優秀さを認められても人を欺いている気持ちになってしまうという「詐欺師症候群(インポスター・シンドローム)」はその典型。
(あ、でも男性は自信があるというわけでもなかろう。自信がないことに気づかないか気づかないふりをしているか、気づいていても人に言えないのだ。男らしくないから。)
「自信がないんです」に対しては、あいまいに微笑み頷きながら「大丈夫ですよ」などと言うしかなかったが、これからはこの『魅力の正体』を勧めればいい、かもしれない。
魅力と自信。
本書では、「どんな時でもサバイバルしていけるという「自信」と、その自信をベースに人を巻き込みながら「望むキャリア」を手に入れるための「魅力」」という並列の書き方をしているが、二つはニワトリと卵の関係だろう。
もちろん魅力もないのに自信たっぷりの人や、魅力あふれるのになぜか自信がない人もいるが、本来は自分の魅力をちゃんと知って、それが他の人に伝わっていることを信じることが自信なのだと思う。
魅力とは、自分を周りの人に受け入れてもらう力だ。
そして、自分の魅力をちゃんと知るということは、おそらく自分を慈しむということにつながり、セルフ・エスティームにつながる。『魅力の正体』が、多くの人に自分の魅力をちゃんと知るきっかけを与えて、自信につながり、自分を慈しめる人を増やす手助けになればいいなと思う。
本書の間違った使い方。
『魅力の正体』の著者、池原真佐子さんは、真面目で明晰な人だ。だからこの本も、魅力というつかみにくいナニモノカをFascinationQuotient(魅力指数)と見定め、外見、しぐさ、オーラと因数分解して真面目に明晰にそれぞれの指数を高める方策を伝えている。オーラなんてアヤシゲなものまでちゃんと分析して解説して実践法を説いているので大したもです。
間違った使い方は、そうやって挙げられた魅力の因数一つひとつを自分の内に探りながら、これも備わっていない、あんなことも出来てないと減点法で読み、ああやっぱり私には魅力なんてないんだ、、と結論づけてしまうことだろう。
不完全でいいのだ。
「不完全は自分の強さにも魅力にもなる」と本書にもある。矛盾するかもしれないが、本書にある魅力の因数がいくつか欠けていようと、真の魅力は揺るがない。そのことを受け入れて自分の不完全さを慈しめる人こそ魅力的なのだから。そう考えると、本書で一番肝心なのはChapter6の『「不完全」は「魅力」に変わる』という章かもしれない。
池原さんとはそれなりに親しいので、本書の批判をしたい。親しいいからこそ、ただいい本でした、勇気づけられましたでは終わりたくない。
『魅力の正体』の欠点は、先にも書いたように池原さんの性格を反映して真面目で明晰に書かれていることだと思う。詩が足りない。
例えば、終盤で落ち込みからの再生がわかりやすく説かれているが、U理論に類似している。U理論であれば、よくわからぬ内面のうねりを自然の表象に映しながら詩的、感覚的に伝えるだろうが、本書はとてもわかりやすい。
魅力と向き合うということは、自分の人としてのあり方に向き合うということなので、言葉にならない、おさまりのつかない内面のうねりがたくさん生じる。真面目で明晰でわかりやすいルートからは、はみ出てしまうものも多いだろう。それを受け止める詩的な余韻が、あとほんの一つまみあったらなお良かったのにな、とか思う。
と、無理やりな難癖をつけたけど、本書は自信や魅力について悩む多くの人に寄り添ってくれる本なのは間違いない。池原さんや編集の滝澤さんの真摯な仕事に感謝。
池原さんはいろいろと逡巡しながら、本を手に取る人のことを考えてこの本を書いたのだろうなと思う。魅力の因数をこれだけ明晰に説く池原さんはもちろん魅力的な人だけど、でもやっぱり不完全な人だと思う。そして、魅力はあるけど自信について悩むこともある人だと思う。さらに、自分の魅力をきちんと引き受けている人だとも思う。
「魅力とは、誰かに褒められるためではなく、見せつけるためにあるものでもなく、人生や社会をよりよくしていくためのヒューマンスキル」と本書の最後にある。実に賛成。
自分を周りの人に受け入れてもらう力である魅力だけれど、やはり本質は自分を慈しむことだろうし、そのことで自分が輝けば社会が輝く。
繰り返しになるが、『魅力の正体』が、多くの人に自分の魅力をちゃんと知るきっかけを与えて、自信につながり、自分を慈しめる人を増やす手助けになればいいなと思う。
『魅力の正体』池原真佐子さん(大和書房)。
自信と望むキャリアを手に入れる 魅力の正体 ~コンプレックスを強みに変える実践的レッスン~
- 作者: 池原真佐子
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2017/05/18
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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