【血塗られた電柱】

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時は2011年2月。震災前、リーマンショックからの不況色濃い晩冬の頃。


日立グループにて、西武鉄道駅ナカコンビニの一括採用管理という無謀な新規事業立ち上げに挑んでいた僕は無茶苦茶焦っていた。詰め段階で契約がまとまらない。時間が過ぎるごとに社内の風当たりは強くなっていた。


こういうときは売り上げを作ってしのぐ。というわけで学生マンションの清掃業務を受託してきた(会社はビルメン業)。都内数十棟のマンションの部屋を業者さんに頼んで掃除してもらう仕事だった。


トラブルは土曜の朝。


マンション管理会社が内見に行くと、部屋の鍵が閉まっていた。本当は開けておかないといけない。ミスだった。トラブルは早期挽回。連絡をうけて、この土日に自分で全戸まわって開けてしまおうと思った。


昼に鍵を受け取り、都内を猛スピードでまわりだした。路線図の端から端まで十数駅、急ぎ足でマンション数棟の部屋の鍵を開けて、開けて、開けて。


とにかく必死に駆けずりまわって6割くらいを終えた頃、日が暮れてきた。夜の業務継続は難しい、でもあと少し・・。気が急いて、焦りは最高潮だった。


次のマンションは千駄木にあった。そこと、隣駅の西日暮里の2棟を終えれば、明日はかなり楽になる。やり切らねば。


そう思って千代田線から飛び降りて千駄木駅の階段を2段飛ばしで走り上がり、路上に飛び出て左に曲がって、記憶が飛んだ。


道路に倒れていた。


クラクラする。何がおきたかわからない。どうやら横たわっているようなので立たないと、と思うけど視界がぼんやり。メガネがない。変だなと顔を触るとヌルヌルする。何だこれと手についたヌルヌルに目を凝らすと赤い液体で、血だった。血で右眼が見えない。


それでも立ち上がると、電柱があった。この電柱に激突したのだ。地面に血が飛び散っていた。


メガネを拾い、植え込みに座り、携帯を取り出して119に電話をした。かからなかった。もう一度電話をした。かからなかった。


しかたない。血が滴る右眼をハンカチで押さえて、駅に戻ることにした。改札にいた集団にキャーと叫ばれたけど、「いや大丈夫です、、」と小声で言いながら駅員さんに、「電柱にぶつかって血が出てるので消毒液とか借りられますか?」と聞いたら断られた。トイレで鏡をみたら、瞼を切ったらしい。眼は大丈夫。でも血が止まらないし切れた瞼が妙に白いので病院に行かなきゃ。というわけで駅員さんに近くの救急病院を教わり、歩いて行くことにした。


スマホに変えたばかりだったけど、こんなに地図アプリが頼もしかったことはない。右眼は血だらけ。メガネもかけられない。俯いて左眼でスマホの地図を見てヨロヨロと前に進んだ。右眼を押さえたハンカチからは血が垂れてポタポタとスマホを赤くした。


かなり異常な光景だったろう。道行く人が避けて、歩きやすかった。気が遠くなる道のりだった。出血が止まらなかった。


救急病院にたどり着き、どうしましたと聞かれたので「いやぁ、電柱にぶつかっちゃいまして、、」と言うと、ラッキーですねと言われた。今日の先生は上手いですよ、と

 

若い医師は、もうちょっとで目をつぶっていてもあっち側が見えるようになるところでしたよ、とふざけた後で、瞼を縫ってくれた。1ヶ月はお岩さんですよ、それ以降は傷が残るかわかりません、と言われて病院を去った。


なんだか夢や非現実の世界に来たみたい。さっきまで事業のこと、マンションまわりのことで必死だったのに。

 

電柱に頭を打ったし、出血もしたし、かなりフラフラでぼんやりしていた。もう限界で、タクシーを呼んで家に帰ろうかと思ったけど、仕事をしないとという気持ちが優った。


その時は仕事に、マンション清掃ではなく自分の新規事業を立ち上げることにそこまで必死だった。


何としても事業を軌道に乗せたい。その為にはマンション清掃のトラブル対応で休日がつぶれ脚が棒になろうと、片目が不自由になろうと構わなかった。仕事が命。結局、予定通り残りの3棟をまわり、帰宅した。


右眼の腫れは1ヶ月程で引き、抜糸をしたらさほど瞼に傷は残らなかった。事業立ち上げにあと2歩と迫ったとき、震災が来た。


昨日たまたま友人たちと千駄木に行き、久しぶりにあの電柱に対面した。歩道の真ん中に立っている極めて危険な電柱。この電柱にぶつかって血をなすりつけたんだなと思うと憎たらしいけど、必死だった自分を懐かしくも思う。


電柱に血痕は残っていなかった。