保毛尾田保毛男に思うこと

僕は筋道だってこの件を考察できる蓄積がないので、ただ思ったことを備忘的に

 

◆見ていないものを語ってはいけない。2次3次情報にもとづいて論評を行うことは控えるべきである。たとえ世の多勢が伝聞のみで人を非難していようと。

 

でもそのルールを破る方がよいこともある。社会に一歩一歩を積み重ねたいときは特に。真摯に、見ていませんが伝え聞きましてと白状して、その上で自分の意見を述べることも必要。

 

そうでなければ、羊たちの沈黙になる。

 

見ていないからと声をあげないと、いつの間にか声を上げるべき時に真空となって音もでず、窒息死することになりかねない。僕はTVを見ないが、それでも番組を見ていなくて恐縮ですがといいつつコメントを寄せてみた。一人の一歩をゆるがせにすべきではないから。

 

◆キャラクター特性がLGBTではなくて日本人だったら。「お前日本人だったら死刑だぞ」「日本人じゃないのあくまでも噂なの」、みたいなコントだったら。昔の海外ならありえたかも。お前Japかよ、みたいな。

 

人のアイデンティティを笑いものにするってそういうことだろう。国籍もセクシュアリティアイデンティティ

 

このくらいいいじゃん、窮屈な社会だなと言う人は、これが日本人を嗤う内容だったら血相変えそうな人が多そう・・というのは、僕の偏見か。

 

◆TVが時代を創るものではなく、時代遅れの同調と傷の舐め合いのためのものになっているのだとしたら、悲しい。

 

◆大学同窓に、有村悠という同人作家がいる。存在も作品も物議を醸すような人(どんな絵を描くかは自己責任で検索してください)だが、彼の論考は僕が考えたいことを見事に言葉にしていることが多く、実は尊敬している。

 

彼が、「TV局がなぜ放映して大丈夫と判断したのか、なんのことはない実際に大丈夫だから。今だって幅広い年代層の視聴者にウケるからやったんだろう。」という旨のtweetをしていた。

 

本当にそうだと思う。悔しいくらい本当に。

 

現代においても、番組を見てゲラゲラ笑って何の痛痒も疑問も感じず、しばらくすれば番組を見たことすら忘れかねない人が世の中を占めているのだろう。マジョリティという意識すらない、なぜならマイノリティを意識することがないから。

 

有村君の別tweetに、「本件を批判するような勢力への敵意が噴出した結果がアメリカ大統領選かも。」とあり、これもそうだと思う。

 

番組に違和感や嫌悪感を感じ、この現代にこんな放送をするなんて、と思う人はコップの中の嵐で、そんなコップがあることすら気に留めない人で社会はできている。

 

社会活動といえる取り組みをする人はこの現実を常に忘れてはいけない。世界は、そんなエーテルだかダークマターだかわからない人たちで構成されている。

 

とはいえ悲観することはない。そんなもんだと認めて、それでも一歩一歩を積み重ね続ければいい。これはLGBTだけじゃない、働き方生き方についても、エシカルについても同じこと。悲観することはない。

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