映画『ゲイビー・ベイビー』から思う、マイノリティ性を引き受けた人の美しさ。

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感動して、一人で観ていたなら泣いてしまっただろう映画『ゲイビー・ベイビー』。

 

人はみな、マイノリティ性を負っている。それぞれの困難に直面したとき、引き受けて、前を向く姿が、人の美しさだと思う。

 

同性カップルを親に持つ子供「ゲイビー」たちの日常と、小さな成長を追った映画。興味深いことに、映画で彼/彼女らが直面する困難は親が同性カップルだということではない。

 

病弱の弟を気遣いながら自分の夢へチャレンジしたり、学習障害に苦闘しながら異国へ転居したり、荒っぽい趣味に没頭して妹を巻き込んだり、宗教の捉え方で対立したり・・。親が同性カップルであろうとなかろうと直面する、人生のあれこれ。

 

幼さの残るゲイビーたちは、個々の困難から逃げず、悩みつつ自立した考えで立ち向かい、次のステップへと進む。その姿に感動する。何故そんなに人生と向き合えるのか、不思議に思う。まだ子供なのに。

 

ゲイビーであることの意味は、そこにあるのではないか。彼/彼女らは、映画以前に親が同性カップルであるということに直面し、それを引き受けて前を向く経験をしている。人生の葛藤を乗り越えたサバイバー。だからこそ、次の困難が来てもそれと向き合っていけるのではないか。

 

もう一つ。親たちも、子供と真摯に向き合い、対等に話しを聴き、対話している。素晴らしい親だ。同性愛者として生き、カップルとなり子供を持つというマイノリティ性を持つ親たちは、自分の人生経験から聴くことと対話することの大切さを知っているのだろう。マイノリティとして、聴いてもらえず、対話してもらえない経験もいっぱいしている人たちだと思うから。

 

『ゲイビー・ベイビー』は、マイノリティであることを引き受けている子供(と大人)が、新たな困難を引き受ける映画、といえるんじゃないか。人の美しさが顕れた映画だと思う。映像も、とても美しい。

 

胸が飽和して今一つ言葉にならないが、『ゲイビー・ベイビー』の子供たちに勇気づけられて、自分のマイノリティ性と向き合い、周囲の人と対話をして、引き受けていく人が増えるといいな。人の美しさが、もっと顕れるといいな、と思う。

 

そして、こんな映画を観せてくれるアーヤさんは凄いと、感謝。

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