愛と含羞の西武鉄道

2014年4月24日

 

高田馬場で幼少期をすごした者にとって、一番のアミューズメントスポットは駅前のビッグボックスだった。

 

もう四半世紀前にもなるが当時のビッグボックス1階には噴水があり、奥にはマクドナルドがあり、またアイスクリーム屋さんなんかもあったと思う。

森監督のもと、清原・秋山・石毛・工藤・デストラーデなんかがい西武ライオンズもめっぽう強く、優勝をするとアイスのフレーバーをおまけしてもらえて、松崎しげるのライオンズの歌を聴きながら噴水に腰掛けて女の子とアイスを食べるのは最高のデートだった

西武新宿のぺぺやサブナードなんかに女の子と行ってしまえば、もう新婚旅行みたいなもんでしたよ。

 

今から考えると、子供の世界におけるバブル時代だったのだろう。

 

遠足はいつも黄色い西武鉄道に乗って、航空公園とか、足を延ばして飯能とかに行っていた。池袋という駅と、沼袋という駅があるのが可笑しかった。家族旅行はプリンスホテルも多かった。

また、幼稚園から小学校低学年まで一緒だった女の子が彼方に引っ越してしまったが、その転居先は実は東久留米だった。

 

小学校を卒業したとき、好きだった女の子と集団デートだかみんなで遊びにだか行ったのも、ビッグボックスのボーリングとゲームセンターだった。

 

 

時は流れて、、

 

28歳で“社会人”として拾ってもらったのはセゾングループの会社で、ファミリーマートでも働いてお世話になっていた自分としては、自称「セゾンの末裔」という気持ちで仕事をすることが多かった。

西友西武百貨店をはじめとするセゾンの大先輩方の教えをひたすらに吸収しようと努めながら、元グループ(もうセゾングループ崩壊してしまっていた)のリソースのありがたさも救われていた。

堤家、西武・セゾングループの本も読み漁った。

 

そんな中から、兄弟グループの西武鉄道に一筋の糸を頼んで投げ込んだ企画書が通り、プレゼンして大きな仕事ができるようになり、、間にいろいろとあったものの、結果として半分西武鉄道の一員のような立ち居地で、事務所も持たせてもらうこととなった。

西武鉄道サーベラスとのせめぎ合いを続けながら、上場を目指して苦しいながらも試行錯誤をしている(と見えた)最中で、ビジネスのパートナーとしてぶつかることもあったけど、人柄の良いかたも多くとてもとても好きな会社になった。

というか、とてもお世話になって恩義この上ない。

 

ついつい西武鉄道のグッズもいっぱい買ってしまい、最たるものは銀河鉄道999型ホッチキスで、絵柄は描いてあるものの普通というかむしろ使いづらいホッチキスながら値段が999円という、、、高いよ。

 

西武鉄道との仕事からは離れてしまったが、そこで事業責任者をして立上げをやった経験(失敗経験がほとんど)と自信(地獄のような仕事量でも大丈夫だったし)は、僕の骨格だと思う。

 

そんな西武鉄道、というか西武HDが再上場ということで、まだまだ会社的に大変な状況は続くと思うけど、とりあえず嬉しい。

 

嬉しいので、秩父と飯能が舞台の「あの花」の映画版でも見ようかなと思ったり。

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