耽典籍:日陰者を、否認せず黙認せず公認せず「容認」するソーシャルインクルージョン。『性風俗のいびつな現場』坂爪真吾さん(ちくま新書)

ベッ〇ーのおかげで、前著『はじめての不倫学』が売れてらっしゃるに違いない坂爪真吾さんの新刊。

 

性風俗のいびつな現場』坂爪真吾さん(ちくま新書)。

性風俗のいびつな現場 (ちくま新書)

性風俗のいびつな現場 (ちくま新書)

 

余談ながら〇ッキー云々について思うは、ポリアモリー的な考え方は全然広まっていないな、ということ。一対一対応の家制度は、まだ根強い。

 

母乳風俗とか鶯谷デッドボールとか、福祉にも見紛われるような風俗ビジネスを追った一冊。現場主義とニュートラルな視点は、さすが坂爪さんと思う。

 

最後の章に、すごーーく大事なことが書いてある。『否認でも黙認でも公認でもない「容認」を目指せ』。

 

風俗産業を、否認しても消えて無くなるわけではない。風俗産業を、見ない見えないふりして黙認してしまえば裏のあれこれが常態化してしまい危険、かといって大っぴらに公認することは難しいということ。「否認の無効性」「黙認の有害性」「公認の不可能性」とまとめられている。その上で、「容認」を説いている。

 

実に鋭くて要点を抑えた指摘だな、と感心しました。

 

ソーシャルインクルージョンといっても、社会が人の集まりであるならば、マジョリティとマイノリティはできるし、日の当たる場所にいる人も日陰者もできる。

 

日向の人と同じように、日陰の人も包めればいいけど、やはりその違いは無視できない。むしろ、違いを大切にしなければいけない。日陰の人は、日向を羨むかもしれないけど、でも日陰にいることで守られていたりメリットを甘受していたりも・・する場合もある。

 

以前、AVライターの人が、ポルノが明るくみんなに認められるような仕事になってしまうのはイヤ、と言っていたのを思い出した。でもブラックなのも困る。適度なグレーを保ち続けたい、という話しが印象的だった。

 

風俗産業だけではない、と思う。

 

我が身の話し。僕は中退・ニートというちょっと日陰な来歴を持つ。別に隠すものでも引け目に感じるものでもないけど、でも世間で中退もニートも日向の扱いになってしまうのは違和感がある。やっぱり、外れたコースだと思うから。

 

一方で、中退・ニートだったからということでキャリアに起伏ができて、メリットだって受けている。風俗産業がグレーだからこそ稼げる、というのと同じ構造かもしれない。

 

若年無業者ニート・ひきこもりはこれからも消えていなくならないので否認はできない。とはいえ見ないふりをして黙認して放っておくと、加齢とともに社会のさらなる課題になっていく。でも、ニートってイイね!自宅警備員クール!みたいな公認も、逆ギレしてるみたいで変。

 

坂爪さんが、「容認」=「否定や禁止、排除や黙殺をせずにいったん受け入れた上で、福祉や社会をつながる方法を手探りで模索する」という言葉でまとめている姿勢は、風俗産業だけでなく、若年無業者だけでなく、いろいろなマイノリティについて適用できるはず。

 

「違いを認め合って、つながる」ということかな、と思った。刺激的な風俗の現場のエピソードに目を奪われがちになるけど、大事な提言のある本でした。

 

に、しても、1月のちくま新書はラインアップが卑怯なまでにすごい。『マタハラ問題』もあるし、『家族幻想ー「ひきこもり」から問う』も読まないわけにはいかないし、そして『性風俗のいびつな現場』も。あとプラグマティズムも面白そう。力入れすぎです・・・。