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耽典籍:チェルノブイリの文学は、涙が、切なる祈りと原子力の風に乾いて消える。『チェルノブイリの祈り』スベトラーナ・アレクシェービッチ(岩波現代文庫)

耽典籍

問う。これは文学か。

 

答う。2015年ノーベル文学賞受賞者スベトラーナ・アレクシェービッチによる著作である。文学として読んで差し支えない。

 

再び問う。文学であれば、人間の普遍的なテーマについて物語るもの。チェルノブイリという災厄の下に隠され忘れられた個別の人々の言葉を拾い集め、何かを告発するような本作は、ジャーナリズムの領域ではないか。

 

再び答う。チェルノブイリ原子力ソ連やロシアやベラルーシについて、何かを訴えるという役も、本作は担うだろう。しかしそれ以上に、チェルノブイリに遭遇し、その後を生きようとする人々が何を望み、願い、失うのかを描いている。

この上ない悲劇にあらゆるものを奪われた末に、人が何を祈るのか、というのは、文学が描くべき人間の普遍といえるのではないか。作中で著者も記す、「この本はチェルノブイリについての本じゃありません。」と。

 

さらに問う。チェルノブイリの文学が、個別の人々へのインタビューという形式になり、全体としての物語をなさないのは何故か。

 

さらに答う。アウシェビッツの後で詩を書くことは野蛮、なのかもしれない。物語れない時代なのかもしれない。同じくノーベル文学賞を受賞した、ソルジェニーツィンの『収容所群島』という文学を思う。

アウシェビッツの文学、ヒロシマの文学、チェルノブイリの文学、フクシマの文学。それらがどのような形式をとれるのか。答えはない。ヒロシマの文学として、原民喜を得られたのは奇跡としか言いようがない。

 

チェルノブイリの祈り』スベトラーナ・アレクシェービッチ(岩波現代文庫)。

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

 

 

2015年ノーベル文学賞受賞者、スベトラーナ・アレクシェービッチの著作。ベラルーシの作家。ジャーナリスト上がりで、ドキュメンタリー文学を発表してきた人だという。日本で、現在手に入る本は(古本を漁らなければ)本作だけ。ただ、他の翻訳はまた出る予定だとか。戦争の皮を剥ぐような文学を、世に問い続けている人のよう。

 

ベラルーシの作家として、チェルノブイリを生きようとする人々の声を集めた本作は、文学としても記録としても貴重なものだろう。

 

愛する人が、放射性物体と化してしまい死ぬ様を記した冒頭から、言葉に詰まり読み進めるしかない。圧倒的なまでの災厄を前に、多くの人は泣くことすらできない。ただひたすらに、ささやかな生活が少しでも送れるように、切なる祈りがほんの少しでも叶うように、もがく。そしてそのうち、死んでしまう。

 

序章として、「見落とされた歴史について」という題で著者自身へのインタビューという名の内省が書かれている。その文章を、何度も読み返してしまう。

 

「なにかが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似たできごとも、体験も持たない。」「なにかを理解するためには、人は自分自身の枠から出なくてはなりません。」「私はほかのことについても聞きたかったのです、人間の命の意味、私たちが地上に存在することの意味についても。」「私は未来のことを書き記している・・・。」