耽典籍:性→家族制度→国家体制→思想信条という構造なら、セックスは国家を転覆するか。『服従』ミシェル・ウエルベック(河出書房新社)

ミシェル・ウエルベックは『素粒子』しか読んでない。そして本書の通奏低音となっているユイスマンスは、『さかしま』すら読んだことない。キーとなる『O嬢の物語』は読んだことがあるが、古臭い官能小説だと思った。

 

フランスにイスラム政権が誕生するストーリーが、シャルリー・エブド事件の当日に発売されたことで話題作となったとのこと。リアリティのある未来予測は、政治や大衆心理に関心の深い人の議論の肴として耐えうるだろう。

 

『服従』ミシェル・ウエルベック河出書房新社)。

服従

服従

 

 感想として、ヨーロッパの文学だなと思った

ヨーロッパの文学は、ヨーロッパ文化が退嬰し、滅びるのではないか、という命題が好きで、しばしば題材として挙がってくるが、それに連なる一作だと思う。

 

イスラム政権を過激な異物として描くのではなく、ニュートラルに、文化風習が異なるが現政治経済体制の延長として描き、ファシズムよりましと民主的に選択されたものとしているところが、リアルでもあり、ヨーロッパ文化の終焉をより感じさせる効果にもなっているのだろう。

 

おりおりに出てくるセックス、というか性関係の描写の変化が、社会変化を表しているのが面白い。ユダヤ系の女性とのオープンなセックスから、『O嬢の物語』や『服従』という標題に示唆されるような支配/被支配的なイスラム文化の女性との性関係に移行していくストーリーを見ると、思想・宗教や国家・政治の変化は行きつくところ性のあり方の変化なんじゃないか、と思わされる。

 

反転させれば、性のあり方を変化させれば国家も思想も変容するかもしれず、有史以来の文学者達が執拗にセックス表現を続けているのは(個人の人間性の解放という面もありつつ)、そのための社会活動でもあるのだろう。

 

国家や思想は性の変化が社会変革に至らないように、家族制度という拘束道具を作り出していて、本書で描かれるイスラム文化ではそれが一夫多妻制に表象されていて(現実のイスラム圏では、一夫多妻も変わってきているだろうけど)、主人公がその制度に取り込まれることが示唆されて終わる。

日本では「家制度」というのがいつ頃にか作り出されて、人々の記憶からは薄れているが、いまだ隠然たる力で社会を縛っているんじゃないかな・・と思わなくもない。

 

「男子の性教育」とかポリアモリーとかが広まると、そんな「家制度」の土台崩しになって、社会とか国家とかも変容するのだろうな、と思い信じる。

 

ちなみに、この『服従』は男性視点での物語だけど、同じ題材でも女性視点で書くとだいぶ変わるはず。特にイスラム文化下の女性の描写が浅いというか、紋切り型な気がしなくもない。ま、そこが主題ではないのでいいんだけど。