耽典籍:好きな画家が生命の残滓で描いた一枚は面白くなかった。『「絶筆」で人間を読む 画家は最後に何を描いたか』中野京子(NHK出版新書)

魂を削らぬものに価値はない、ような気がしていて。

言い換えれば、生命と引き換えのものこそ美しいと思う。芸術でも、仕事でも、人生でも。

 

しかしこれは、僕が魂や生命を有限のものと捉えている証左だろうか。無限であれば削れないはずだ。

 

魂や生命を有限と捉えるようになった契機を考えると、Zガンダムなんじゃないかと思った。最終盤49話で最期のエマ・シーンカミーユに「私の生命を吸って。そして、勝つのよ。」と言い、物語は一気に悲劇性を帯びたゾーンへなだれ込むが、7歳(放送は1986年2月15日)に放映を見て以来、脳裏にある。

 

別事だが、生命と引き換えのものこそ美しいと思うが、実は引き換えでないものなどない。「命賭け」とか「寿命が縮まる」とかいうが、ほっといても人は生きているだけで命を賭けてるし、寿命が縮んでいるのだから。

こんな当たり前のことを、数年前に昼夜なく210連勤する過労のなかでふと気づき、何だか可笑しかった。

 

『「絶筆」で人間を読む 画家は最後に何を描いたか』中野京子NHK出版新書)。

ボッティチェリからゴッホまで15人の画家の最後の一枚、いわば生命の残滓で描いた一枚を、どういう人生を経てその一枚に至ったかとともに解説している。

有限かどうかは置き、人がその魂の残り一片を削った作品群をまとめて見比べるというのは、一興か。

 

ルーベンスとかゴヤとかミレーの絵が、ちょっと意外で業とか境地とかを感じさせてくれて面白い。

 

が、僕が一番好きなのはダビッド。ツヴァイクの引用で「才能はあるが卑劣漢」とか、芸術への迸りがないとか書かれているフランス革命時代の画家。「マラーの死」を教科書か何かで見て感動してしまい、ポストカードを部屋に貼り続けている。「ナポレオンの戴冠」のどでかいポスターもフランスで買ってきて、部屋に貼っている。悲しいことに、「マラーの死」の本物はルーブルに行ったときに、どこかに出かけていて見られていないんだけど。。

 

芸術の迸りはなくても、人がその時代その場に居合わせる意味と役割みたいなのをつかみ取ることは上手い画家だったんじゃないか、と思う。

ここら辺、作家性とか、ジャーナリズムと芸術とか、いろんな論点が設定できそうです。

 

ダビッドの絶筆は「ヴィーナスに武器を解かれた軍神マルス」という作品らしいが、、まぁ面白くはないですね。。