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耽典籍:「この本は、こんなにも前に今の社会を言い表していたね」と、いつ言うことになるのだろうか。『出現する未来から導く』オットー・シャーマー(英治出版)

この夏の大著。

『U理論』のオットー・シャーマーの待望の新刊で、先行発売当日に買いに走り読みふけった。が、何となく間をおいて今感想。

出現する未来から導く――U理論で自己と組織、社会のシステムを変革する

出現する未来から導く――U理論で自己と組織、社会のシステムを変革する

 

『出現する未来から導く』C・オットー・シャーマー(英治出版)。

 

『U理論』が、思考や認識の変容をテーマとしていたのに対し、『出現する未来から導く』は社会の変化の兆しをとらえ、U理論的な見地からそれらをつなぎ合わせて未来図を浮かばせる。より俗世的といえるし、だからこそより予言的ともいえる。

 

きっと数年後、『出現する未来から導く』をめくり返しながら、「この本は、こんなにも前に今の社会を言い表していたね」と言うことになるのだろう。それが何年後のことか、分からないけど。

 

本の話。

エゴ・システムからエコ・システムへ、という冒頭が全てで、それを自然や資本や労働や消費という観点や、各国・地域という切り口で検証して、どのような未来が出現するのかを描く。

 

どうしても興味のある領域に共感してしまうわけで、まず労働について。

「生計のための仕事(work)と目的としての仕事(Work)とのつながりを回復できる状況を組織機構の中で提供すること」というのは、まさにハイブリッドキャリア的な話で、さらにそれを組織の中で作り出すかということだよな、、と我田引水。

また、「アップルやブラックベリーがただの果物だったころ、人生はずっと楽だった」という一文に頷かざるを得ず、人類は楽になるためにずっとずっと働いてるのに、なんだかますます忙しくなっていく矛盾ってあるよなぁ、、と思う。本当なら、奴隷に支えられていたローマ貴族みたいに毎日風呂に入って暮らしていても(ここら辺、某漫画に毒されてます)いいはずなのに・・。

 

労働についてのU理論的な指摘は、「愛することをし、していることを愛する」という内面を集合的なシステムとするために、外面(世界の周縁部)との補完が必要だとすることだろう。

 

自分と世界は隔てなくつながっているのだ、という感覚だと思う。

これは、フェアトレード的な視点ではないだろうか。

 

コンゴの紛争鉱物の話をするとき、まず携帯電話を出してもらい、その中にタンタルタングステンがあることを示し、それはコンゴで採掘されているかもしれないと言う。日本のあなたの手のひらにある、その携帯電話はそのまんまコンゴにつながっているのだ。

この、「隔てなくつながっている」という認識が、フェアトレードエシカルの本質だと、僕は思う。

 

『出現する未来から導く』でも、「個人消費者が、自分たちの購入決定が数千マイルも離れているかもしれない生産者のコミュニティに与える影響を意識して」とあり、協働的な経済プロセスと表している。そういった経済システムを「意識的にデザインし直しはじめた」ともある。

 

まさに、リ・デザイン。

 

労働であれ、消費や経済であれ、その他であれ、エゴとエコはすでに隔てなくつながっている(つながっていた)のだから、そのつながり方をリ・デザインしていこうというのが、「出現する未来」なのではないかな、、と読んだ。

 

そういって考えると、EDAYAが6月に開催した展覧会の『「わたし」と「社会」のリ・デザイン』って、改めて素晴らしすぎるタイトルだなぁ・・・と、感動しちゃったり。

 

リ・デザインですよ。