耽典籍:日本人の身体観について。 『耳鼻削ぎの日本史』清水克行(洋泉社)
『耳鼻削ぎの日本史』清水克行(洋泉社)。
その1:身体論は、大学生のころ流行っていて、授業で舞踏やコンテンポラリーダンスを見に行ったこともあった。頭と言葉で世界をとらえる文学徒なので理解が及ばず、身体性というテーマは宿題となっていた。
その2:EDAYAのフランス人インターン、ピエール君と、日本ではイヤリングをする人、ピアスを開けていない人が多いという話をした。親からもらった身体に云々ではないが、整形も少なかろう。
その3:獅子舞伝承者、小岩さんのお話を聞いていて、伝統とはその身体性を伝えることではないか、と思った。舞も音楽も、このように手足を動かす、喉を震わすという、身体をどう使うかという感覚に成り立つ。
日本人の身体観という文化論は、興味深い。
・・・というわけで耳鼻削ぎ。
身体刑(肉刑)というと中国が本場な気がして(だって宦官のイメージが強くて・・)どうして日本では広がらなかったのかな、と不思議だった。戦国時代と秀吉の朝鮮侵略の時くらいしか、耳鼻削ぎの話を聞かない気がして。
法律などは、中国から取り入れていたのに。
そういう疑問に答えてくれるマニアックな本で、楽しく読みました。
誤解があり、中国では身体刑は未開として漢の時代から廃れていたという。逆に日本では、平安時代の鎖国(?)期、国風文化の一部として身体刑が行われたようで、死刑を避けるための宥免刑の位置づけだったという。
女性や僧侶、乞食といった聖なるものとの近接が信じられていた存在が、命をとることを忌み嫌われて、耳鼻削ぎという身体刑になったそうな。
なるほどなぁ。。
同時に、髻(もとどり、ようは髪の毛)を切り落すというのも立派な身体刑だったらしく、ものすごい恥辱だったらしい。でも髪の毛だったらまた伸びるじゃん。。。
昔の人にとって、ちゃんと髷がゆえず烏帽子もつけられないというのは、人でなくなるほどのことだったのかね。
ここら辺、江戸時代に朝鮮通信使とかが日本人のことを冠もつけない野蛮人みたいに見ていた(文化の差異は理解してくれていただろうけど)ことと通じるのかな。中華文化では髷を結って冠をつけてるのが人として当然、みたいな。
ハゲが生きづらい社会。
戦国時代に耳鼻削ぎが行われたのは、単に首をとって持ち運ぶのが大変だからという、効率化のため。
江戸時代になって身体刑はなくなったようだけど、「生類憐みの令」が決定打とは興味深かった。髭を伸ばさなくなったのもこの頃なのだろう。文明化、と本では表記されているが、綱吉ってやっぱり将軍としてナメてはいけない。
面白いのは、よくお勉強をしている藩主、名君のいる藩のほうが身体刑を残していて、会津藩なんか長く耳鼻削ぎをやっていた、という点。日本も連邦国家で各藩ごとに刑法が違ったんですね。
で、結局日本で宮刑というか腐刑というのはほぼ例がないみたい。外科技術が後進だったから、異民族戦争が少なかったから、他の刑で代用できたから・・とあるが、それだけなのかな。
悲しいかな、いまだ耳鼻削ぎは現在世界中の紛争地域で行われていて、報道写真などで見る。両手を切り落すようなことも、されている。
宥免刑としての色合いはない。