耽典籍:戦後70年とは、誰にとっての70年なのか。『イラン毒ガス被害者とともに』津谷静子(原書房)
イラン・イラク戦争では、毒ガスが用いられたと聞く。その後も、クルド人に向けて毒ガスが使われたという報道を見たことがある。
いや過去形ではなく、今でもどこかで毒ガスを使用して「戦争」と呼ばれる行為が行われているかもしれない。毒ガスは人間の道具であり、人は人を殺す。
『イラン毒ガス被害者とともに』津谷静子(原書房)。
広島から発し、チェルノブイリや原子力潜水艦事故のあったロシア、そして毒ガスの後遺症が埋もれるイランで、医療支援を続ける方の活動録。
毒ガスであるマスタードガスが用いられたサルダシュトという町で、毒ガス被害者としての自分たちの存在が世界に忘れられているという苦しみを、被害者が抱えているということが印象に残った。
自分たちの悲劇や惨状が、埋もれたまま朽ちていき、世に知られないということが苦痛になりえるのだ。広島は、たしかに世界に知られている。福島も。
そう考えると、世に知られず生み出され消える凄惨はどれほど多いことか。
すべてを知ることなどできない。僕は新宿という都市に住み続けている。かつて自分の住む隣のマンションで人身売買か何かで日本に連れてこられた来た東南アジアの女性が殺されて火をつけられ丸焼けにされたことがある。彼女の想いなど、どう知れというのか。
それぞれの当事者の思いは、どこへ汲み取られるのだろうか。
毒ガス被害というのは、日本という国も他人事ではなく、近くは地下鉄サリン事件があり、その後遺症がいまだ重い方もいる。さらに、陸軍が毒ガスを作っていた広島県大久野島では毒ガスによる被害が残っているらしい。
大久野島毒ガス資料館もあるそうだが、この島は最近はなんだかウサギの島になっているらしく、ちょっと行ってみたい。
思うのは、戦後70年というが戦争は間断なく続いている。戦争でなくても、人が人に行う残虐はすぐ隣で起こり続けている。
国権の発動はなくても、直接的加害者でなくても、人間の営みが続く限り我々は戦争の一部なのかもしれない。携帯電話を持っているなら、その携帯に使われるレアメタルを通じてコンゴで行われている内戦の片棒を担いでいるかもしれない。
グローバルなどと言わなくても世界は一つであり、自分の手は血塗られていると思ってもいいのだろう。
戦後70年という言葉を聞くとき、その70年という時間に違和感を抱く。人間の営みは続いているし、自分もその一部なのに。