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耽典籍:自律的選択にとって美容整形とは何か?『整形した女は幸せになっているのか』北条かや(星海社新書)。

その1:自律的な選択を善し・エシカルとするなら、なりたい顔・身体を選択する整形は善きものか。

その2:身体改造を忌避する日本文化における整形の位置づけ意味合いとは。

その3:自己尊厳を高める効果から、社会課題の中での美容の力を期待しているが、美容整形はどのような一石になるのか。過度なカンフル剤にならないか。

 

・・・みたいなことを考えた。そういう考えるヒントは多い本。

 

整形した女は幸せになっているのか (星海社新書)

整形した女は幸せになっているのか (星海社新書)

 

『整形した女は幸せになっているのか』北条かや(星海社新書)。

 

その1。

「全て(の人)にとって幸せな選択の連なり≒エシカル」を善しとして、自分の人生と自分が考えるものを選べる幅広さを善しとしたい。だから性別も選べていい。

で、あれば顔・身体を主体的に選べる、自己決定権のある整形は、エシカルな行為か。何か違和感があるが、そうであるのかもしれない。例えそれが他者の理想に従った・縛られた顔・身体への変更であっても、自ら選ぶのであれば。

 

でもやっぱり違和感があるな。。

 

その2。

EDAYAインターンのフランス人、ピエール君が、ヨーロッパではピアスを開けていない人なんて田舎の貧しい地域に行って探さないといないくらいだ(誇張や語弊があるのはお許しあれ)けど、日本はかなりの人がピアスを開けていないのでイヤリングがよく売れる、ということに驚いていた。

確かに日本だとピアスを開けるといまだに「親からもらった身体に・・」とか言われるし本人もそういう意識がある。あと運気が変わるからイヤとかいう人もいる。

さらに、ピアスを開けまくってるとインテリジェンスとは遠い人、というイメージがある(ような気がする)。ピアス穴ない人のほうが、インテリ層に多い(ような気がする)。

中国には耳削ぎ鼻削ぎとか宦官とかあったけど日本には身体に対する刑罰も馴染みがなく、織田信長とかがやっているようなイメージしかない。

 

そんな文脈のなかで、整形が広まる意味って何かあるのかな?日本文化に対して何か投じるものがあるとは思う。

 

その3。

美容と国際協力とか、老人ホームでの美容ボランティアとかで、美容の持つセルフエスティームを高める力は実感する。

でもそういう美容と、美容整形は連続しているのかな。連続しているような気はするけど、フィリピンのNGOに支援されている貧しい地域の女の子が、生活は大変だけどお化粧して自信を持ちたいと言うのと、いきなり整形したいと言うのとのギャップは大きいように思う。

化粧や散髪と、整形は連続しているけどレンジは違うものなのかな。

 

 

あと、性転換って整形なんだろうか。整形なんだろうな。

 

・・・なんて、いろいろ示唆には富むし、答えは出ない本で面白いです。