徒然妄念:沈丁花の花は通り過ぎてから香る

沈丁花に、より強く春を感じる。
桜は、すでに来てしまった春の顕われであり、来年の桜はどこで見ることになるのか、予想のつかぬ人生を予想する花でしかない。
春の花は、兆しの花、沈丁花がいい。

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小学校6年生の3月は特別な時期で、子供たちの世界が別れに向けてより情趣深く濃密化する。僕は私立中学に進学をするため、地元中学進学組とは離れ離れになることが決まっていた。

3月初頭、インフルエンザになった。
中学に入れば会うこともまれになる友達と過ごす時間が、インフルエンザで1週間も削られてしまうのが口惜しかった。小学校には好きな女の子だっていたのだ。

登校班というものがあり、近隣の子供たちが集まって学校に通っていたのだが、同学年・同クラスの女の子が一人、同じ班だった。
彼女は心強い友達で、いたずらや勝手な行動をする僕をよくサポートしてくれた。小学校5年生では一緒に演劇部を作ったし、1年でその部活がつぶれたあとは一緒に化学部に入った。彼女は僕の好きな女の子を薄々知っていたし、僕は彼女の好きな相手を知っていて、バレンタインには呼び出し係を仰せつかったりもした。

その子が、インフルエンザで休んでいる間、自宅に立ち寄ってくれた。

一度、届け物といっしょに花を持ってきてくれた。子供なので、花屋で買ったものではない。道端で手折ったものだ。



沈丁花だった。



匂いの強い花だが、枕元に活けて楽しんだ。沈丁花という名前もはじめて知った。見舞いの花には適さないだろうが、心遣いが嬉しく、いい友人だと思った。


小学校を卒業し、僕は私立中学に進み、小学校の友人と会うことは無くなった。彼女は母親の再婚で(他人の家庭ながら、それなりに複雑なのは子供にも分かった)福島に行った。

大学に入ると、小学校の友人との交流が復活する。彼女も何度か上京してきて、飲み会をした。僕は彼女の網タイツの太ももに膝枕をしてもらってカラオケを歌ったりもした(若気の至りだ)。

やがて僕が特定の女の子とつきあうようになると、また昔の仲間と遊ぶことは少なくなり、彼女と会うこともなくなった。携帯電話が普及しだしたので、ごくたまに連絡をとるくらいだった。

僕は大学でわかりやすく行き詰まり、エリートコース的なものが見えてしまったことに嫌気がさし、ドロップアウトしてふらふらしていた。先の見通しも夢も何もなかった。自堕落な生活を送りつつも、女の子とはずっとつきあっていて、実はそれは小学校のとき好きだった子だった。小6・3月のラストスパート時期にインフルエンザで休んでいても、決めるときは決めるのだ。福島に行った彼女は経緯を知っていて、ごくたまに来る電話ではその女の子の話しを必ずされた。

が、初恋は実らないもので、小学校時代を引きずった恋愛は8年で終わった。

 

ある日、福島に行った彼女から電話があった。本当に久しぶりの電話だった。
どこから聞いたのか女の子と別れたことを知っていて、ひとしきり理由を説明させられた後、「だめだよ、しっかりしなきゃ」と言われた。

僻み根性だったのだろうが、何でわざわざ福島から、こっちの恋愛事情とか、私生活とかを注意されなければいけないのか、不服だったのを覚えている。ムッとした声は、電話越しにも彼女に伝わっただろうか。
「じゃあね、また東京行くから」と言われて、短い通話は終わった。


それから、彼女からの電話はなかった。ずっとなかった。


しっかりしなきゃと言われたからではないが、僕はそれなりにしっかりしはじめ、会社にも入り新規事業社内ベンチャーも行い、事務所も持ち、独立して起業もし、それなりに大それた仕事もし、学生や若者を育てる事業も、ソーシャルセクターの仕事も携わるようになった。それがどのセクターの仕事であれ、少しでも良い世の中にするために、ただそのために仕事をしてきている。

「しっかりしなきゃ」と言われた電話からずいぶん経ったが、まあ僕もしっかりしただろう、少しは世の中のためになってるんだぞと彼女に言って、ちょっとは誉めてもらいたいという思いが、ずっとどこかにあった。会いたかった。

 


彼女は、だいぶ前に亡くなっていた。自らだという。



命を絶ったのは、僕に電話をくれてしばらく後のことらしい。最期の電話で、人のどうしようもない恋愛や生活を心配して、「しっかりしろ」などと言うなんて。
どうしてあの時突然、あんな電話をかけてきたのか、不思議だった。とてもとても不思議だった。だから彼女の声が、耳の底にまだ残っている。挨拶がわりに電話をくれて、「また行く」と嘘をついたのだろうか。

少しでも良い世の中にしたい、そんな世の中を、大切な人に届けたいと思い続けてきたのに、届けたい彼女はいなくなっていた。自ら世の中を否定して。
裏切られたような喪失感が強い。
どれほど良い世の中にしようとも、そこにお前はいないのか、しょせんお前が否定した世の中なのかと、思う。

以前の僕であれば、喪失感に沈んだろう。でもそれなりに修羅場もくぐって来たので、持ち堪えて、「それでも」と言う事ができる。かろうじて。何とかかろうじて。
勝手に死にやがって、もうちょっと粘っていれば、ちょっとは良い世の中になるかもって予感くらいは感じさせてやったのに、早まりやがって。

喪失感は消えないながらも、それでも、墓に向かってお前は早まったと言えるようにしたいと、心から誓う。

あの日、沈丁花を手向けてくれた彼女への、それが僕からの手向けだと思う。


沈丁花の花はあの香気こそ特徴だが、いつも通り過ぎてから香ってくる。香りがして、あれっと思って振り返る。通って来た道のどこかに、小さな白い花の集まる沈丁花が咲いていたのだ。
春の兆しの花だが、別れの花ともいえる。決意の花でもある。香りだけで、それを思わせてくれる。沈丁花の花の香りがどこからかすると、いなくなってしまった彼女の声が聞こえる。



沈丁花の花は通り過ぎてから香る。