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耽典籍:何がピンぼけしているのか 『101年目のロバート・キャパ 誰もがボブに憧れた』東京都写真美術館

耽典籍

ロバート・キャパの写真展には文脈があり、戦争(スペイン内戦、WWⅡ、そしてインドシナ戦争)→戦時下のつかの間の憩い(キスする兵士やゲー ムする兵士)→友人達(ヘミングウェイピカソ、そしてゲルダ・タロー)→日本(けっこう日本の写真も多い)→平和な日常生活や子ども達、と展示が進むこ とが通例なようである。

 

今回の写真美術館の展示もこの通例を守る文脈となっていた(日本の特集はなかったけど)。

 

大学でちょっとだけキャパをやったこともあり写真展があればよく足を運んでいるけど、たいてはきちんとこの文脈が守られており、定型的すぎてかえって違和感がある。

 

そもそもキャパの人生ができすぎている。

 

ア ンドレ・フリードマンという人間が、現代戦争のおこりともいわれるスペイン内戦の中で恋人を喪失し、戦争写真家ロバート・キャパとして再誕生するところか ら始まり、WWⅡというカタストロフを乗り越え、平和な世界の到来を予感するものの、戦争は中東、中国、東南アジアと各地に広がり、引き寄せられるように その拡散する戦火を撮影しに行って消えてしまったというストーリーは、人生として完成度が高すぎて、そりゃ「誰もがボブに憧れ」てしまうだろうなとも思 う。

 

しかしそこには、アンドレ・フリードマンという人間のストーリーは取りこぼされているような疑いを覚える。

 

さ らにいえば、戦争写真家として後天的に誕生したロバート・キャパは、その存在を維持するために常に戦争に依存していなければならず、戦火があれば足を運ば ねばならず、もし平和を望むのならロバート・キャパを殺さなければならないというジレンマに捉えられ、最期はうっかり地雷を踏みにベトナムに行くしかな かったのではないかという疑いを覚える。

 

ロバート・キャパは緩慢な自殺をしたのではないかと。

 

それでも、ロバート・キャパの神話は何者か、もしくは何かの権力により強化されて維持され、支持されていき、ゆえにいまだに展覧会には定型の文脈があるのだろう。

 

神 話の強化者の一人は間違いなくロバート・キャパの弟であり、兄が気まぐれにキャパという名字を名乗ったがゆえに、後天的にキャパとして誕生する人生をた どったもう一人の男、コーネル・キャパ=コルネール・フリードマンなのだろうが、その他にも、戦争写真家が戦争につきものの機能として生きて死ぬことを神 話化しそのことで何か(もしかして戦争を)を維持しようとする潜在的・顕在的権力(の、ようなもの)があるのだろうと最近は思う。

 

そんな権力は、気持ち悪いな。

 

と、いった疑いや違和感をずっと大学時以来持ち続けているが、まったく消える気配はないので、またその気持ち悪さを確かめるために、展覧会に足を運んでしまうのだ。

 

「誰もがボブに憧れ」るとき、いったい何がピンぼけしているんだろうなと思いながら。

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