はぐくみあうこと

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Facebookの「過去のこの日」によれば4年前、2013年6月22日は「食文化シリーズ第2弾!~マレーシア料理から学ぶ「ハラル食」~」というイベントを開催していた。

 

管理栄養士のみんなと各国の料理を食べながらその文化に詳しい人の話しを聞くという、連続ものの異文化交流&食育イベント。マレーシア料理屋でひらいたこの会に遅刻してきたお役人が、柚木理雄さんだった。

 

柚木さんとの友達記念日4周年というわけですけど、この4年、SOIFがありエシカルペイフォワードがあり、柚木さんはLittleJapanに至り、僕はEDAYAに腐心しエシカル男子の会をやりハイブリッドキャリアでTEDxに出てなど・・・なんだかいろいろありました。

 

さらに。

 

「過去のこの日」によれば2013年6月21日夏至の夜にHASUNA本店でキャンドルナイトがあり、僕はそれに行ってブローチを買っている。この時、店長をやっていた村松絵美さんと初めて会った(はず)。

 

今ではエシカルについて相談しあったり、島根までファッションショーに行ったり、SOIFを一緒に運営している村松さんとも、友達記念日4周年というわけです。2013年に会ったときは遠慮がちに挨拶くらいしかしなかったけどね。

 

村松さんもこの4年、いろいろあったろうなと思う。

 

それぞれ、紆余曲折があっても自分の持ち場で少しずつ歩み続けている。切磋琢磨しながら。そんな実感がある。

 

4年前に買ったブローチの名前は、「hagukumi(はぐくみ)」という。はぐくむとは、大人や先輩が子供や後進を育てるという意味合いにとられるけど、それだけではない。横に並びあうものが、お互いにお互いをはぐくみあうこともある。

 

柚木さんとも村松さんとも、はぐくみあってきたなと思う。し、これからもそうだと思う。

 

社会に向けた活動は、時間がかかる。というかそもそもゴールや終わりがない。全貌も見えないし正解もない。だから続けること、自分の持ち場で一隅を照らし続けることが何より大事。

 

そのとき、信じられる仲間をはぐくむこと、お互いにはぐくみあえることができたなら、とても幸せだと思う。

 

なんて、2013年6月を思いおこしながら徒然に。

 

何度か言っているけど、4年前に知り合ったときは2人とこんなに親しくなると思わなかったよ。村松さんとは、島根のエシカルファッションショーで撮った写真がカップルっぽいって取り沙汰されるしさ。

 

そういうのが、人生の面白みなんだろうねと、「hagukumi(はぐくみ)」のブローチに話しかけてみる。

影響を受けた本を聞かれ・・

誰よりも僕の秘密を知る女性がおり、彼女と四方山話をするなかで影響を受けた本は?と聞かれて、ふと出てきた3冊。

 

・『高杉晋作―幕末をかけぬけた男 』(講談社 火の鳥伝記文庫):小学校 

・『哀愁の町に霧が降るのだ』椎名誠 (新潮文庫):中学校

・『富士』 武田泰淳(中公文庫):高校

 

高杉晋作の自伝は小3くらいで読んだ。初めて、買ってもらうのではなく自分で本屋に行き、選び買った本。

 

並みいる偉人がいるなかで、なぜ小学生にとってはマイナーな高杉晋作を「これだ!」と思って選んだのか、よくわからない。知行合一なところ、人や国をへだてぬところが気に入り、辞世の句に感じ入ったことを憶えている。

 

中学に入りワンダーフォーゲル部に属してから読んだ『哀愁の町に霧が降るのだ』では、大仰にいえばマネジメントを学んだ(一応、僕はワンダーフォーゲル部という体育会系の部長だった)。将来イラストレーターや弁護士という偉才になる仲間たちと、その多彩さを活かしながら過ごす愚かな日々の話しは、きっとダイバーシティインクルージョンのヒントになった・・んじゃないかな。こじつけだけど。

 

 

 

そして『富士』。ちょうど埴谷雄高『死霊』が完結するという文学的事件があり、戦後文学を読み漁っていたなかで、いちばん武田泰淳に惹かれた。逆説・矛盾が武田泰淳の論理の筋を成していると思い、全否定こそ全肯定というような思考法はしっくりくる。

 

ものすごく本は読んでいたし、影響を受けた本ももっとあるはず。でも今日ふりかえって出てきたのは上記で、まあ偽りないと思う。

 

ちなみに好きな本は影響を受けた本とちょっとニュアンスが異なる。高校までに読んだ本の中には、いまだに好きな本と問われれば真っ先に挙げるヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』が含まれる。

 

追加で。あと影響を受けた本(のシリーズ)をもう1つ挙げると、『赤塚不二夫のまんが古典入門』で、古事記とかは好きで何度も読んだ。要は古典のダイジェスト版なんだけど、赤塚不二夫の剽げた漫画(光源氏がイヤミだったり・・)とともに解説のクオリティは高くって良書だったと思う。また読みたい。。

 

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寄り添うこと:SOIF

人びとが見落としていたり、手を伸ばせないでいる「もの」「こと」を、社会のフロンティアと呼ぶのだろう。そんなフロンティアで創意工夫を凝らす人を、ソーシャルイノベーターと呼ぶのだろう。


ソーシャルイノベーターと知り合い、活動に触れるイベントが、SOIF。

 

今回もまた多様な団体にお越しいただいた。

 

障がいがあろうと楽しめるユニバーサル映画館、精神障がいや路上生活の人たちと都心で作る居場所、不妊への理解と支えあい、紛争やテロと素顔の若者たち。

 

いずれも、見落とされたり手を伸ばされなかったりするフロンティアで、その最前線におられる皆さん。

 

テーマを設けず、別々の領域で活動する団体にご登壇いただいているのだけれど、今回もまたずいぶんバラバラだなぁと(自分たちでセレクトしたくせに)思っていた。

 

・・・ら、思っていた以上にバラバラだった。

 

それもそのはず、フロンティアでの活動は他に類似のないものなので、バラバラであるということは皆さんがまさに先端で牽引しているという証拠なのだ。

 

でも、なにか通じるものはあるはずで、今回それは「寄り添うこと」なのかなと感じた。

 

障がいをお持ちの方に寄り添い映画を見る、路上の人と寄り添い暮らしを思う、不妊という個人で抱えがちなことに寄り添いともに悩む、ソマリアのギャングと寄り添い同じ若者じゃないかと語る。

 

この「寄り添うこと」をそれぞれのフロンティアでバラバラに実践し続けている方たちにお越しいただいたと、そう思う。

 

「寄り添うこと」。同じ人として、仲間として寄り添うことは、絶対に大事。

 

SOIFのいいところは、自分が興味があること以外にも、こんな取り組みがあるんだ、こんな人がいるんだと知り、目を向けて手を伸ばせること。

 

今回も、紛争地の立て直しや障がいを持つ人の暮らしや教育や、、さまざまなポイントが刺さった人たちがご来場くださった。もちろんご自身が興味あるところの話しを聞いて、動き出してくれればいいなと思うけど、紛争の話しを聞きにきたけど不妊の話しで目鱗とか、そういう機会になっていたらいいな、と思う。

 

次回12月も面白い団体をお呼びしたいなと、やる気に満ちました。

f:id:tetsuji178:20170619005324j:plainうこ

父の日に

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父の日に父に感謝することといえば、父の日に「お父さんありがとう」などと言わなくていい家族であることか。
逆説的だけど、同調やお仕着せの感謝など知らん。

しかしながら、僕が中退したときに非難せず、じゃあこれからどうすると先の話しをした父は、まあ偉かったと思う。し、その思考法は実の親だなと思う。

父の日も、母の日も、自分の誕生日も親の誕生日も、「ありがとう」とか言わない。それが親への感謝。

耽典籍:自分を慈しむための魅力。『魅力の正体』池原真佐子さん(大和書房)

 

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自信をもてと言ってみても、自信はサプリメントで補えない。毛布をもてば安心できるかもしれないが、知恵あるライナスだって自信があるようには見えない。というかライナスは自信がないタイプだろう。

 

「自信がないんです」と相談してくるのは女性が多い。日本には、いや世界には女性をディスカレッジするしくみが顕在潜在にまだたくさんあって、自信をもてないように仕向けられやすいから。本書にもある、素晴らしい才能や実績がある女性でも自己評価が低く、優秀さを認められても人を欺いている気持ちになってしまうという「詐欺師症候群(インポスター・シンドローム)」はその典型。

 

(あ、でも男性は自信があるというわけでもなかろう。自信がないことに気づかないか気づかないふりをしているか、気づいていても人に言えないのだ。男らしくないから。)

 

「自信がないんです」に対しては、あいまいに微笑み頷きながら「大丈夫ですよ」などと言うしかなかったが、これからはこの『魅力の正体』を勧めればいい、かもしれない。

 

魅力と自信。

 

本書では、「どんな時でもサバイバルしていけるという「自信」と、その自信をベースに人を巻き込みながら「望むキャリア」を手に入れるための「魅力」」という並列の書き方をしているが、二つはニワトリと卵の関係だろう。

 

もちろん魅力もないのに自信たっぷりの人や、魅力あふれるのになぜか自信がない人もいるが、本来は自分の魅力をちゃんと知って、それが他の人に伝わっていることを信じることが自信なのだと思う。


魅力とは、自分を周りの人に受け入れてもらう力だ。

 

そして、自分の魅力をちゃんと知るということは、おそらく自分を慈しむということにつながり、セルフ・エスティームにつながる。『魅力の正体』が、多くの人に自分の魅力をちゃんと知るきっかけを与えて、自信につながり、自分を慈しめる人を増やす手助けになればいいなと思う。

 

本書の間違った使い方。

 

『魅力の正体』の著者、池原真佐子さんは、真面目で明晰な人だ。だからこの本も、魅力というつかみにくいナニモノカをFascinationQuotient(魅力指数)と見定め、外見、しぐさ、オーラと因数分解して真面目に明晰にそれぞれの指数を高める方策を伝えている。オーラなんてアヤシゲなものまでちゃんと分析して解説して実践法を説いているので大したもです。

 

間違った使い方は、そうやって挙げられた魅力の因数一つひとつを自分の内に探りながら、これも備わっていない、あんなことも出来てないと減点法で読み、ああやっぱり私には魅力なんてないんだ、、と結論づけてしまうことだろう。

 

不完全でいいのだ。

 

「不完全は自分の強さにも魅力にもなる」と本書にもある。矛盾するかもしれないが、本書にある魅力の因数がいくつか欠けていようと、真の魅力は揺るがない。そのことを受け入れて自分の不完全さを慈しめる人こそ魅力的なのだから。そう考えると、本書で一番肝心なのはChapter6の『「不完全」は「魅力」に変わる』という章かもしれない。

 

池原さんとはそれなりに親しいので、本書の批判をしたい。親しいいからこそ、ただいい本でした、勇気づけられましたでは終わりたくない。

 

『魅力の正体』の欠点は、先にも書いたように池原さんの性格を反映して真面目で明晰に書かれていることだと思う。詩が足りない。

 

例えば、終盤で落ち込みからの再生がわかりやすく説かれているが、U理論に類似している。U理論であれば、よくわからぬ内面のうねりを自然の表象に映しながら詩的、感覚的に伝えるだろうが、本書はとてもわかりやすい。

 

魅力と向き合うということは、自分の人としてのあり方に向き合うということなので、言葉にならない、おさまりのつかない内面のうねりがたくさん生じる。真面目で明晰でわかりやすいルートからは、はみ出てしまうものも多いだろう。それを受け止める詩的な余韻が、あとほんの一つまみあったらなお良かったのにな、とか思う。

 

と、無理やりな難癖をつけたけど、本書は自信や魅力について悩む多くの人に寄り添ってくれる本なのは間違いない。池原さんや編集の滝澤さんの真摯な仕事に感謝。

 

池原さんはいろいろと逡巡しながら、本を手に取る人のことを考えてこの本を書いたのだろうなと思う。魅力の因数をこれだけ明晰に説く池原さんはもちろん魅力的な人だけど、でもやっぱり不完全な人だと思う。そして、魅力はあるけど自信について悩むこともある人だと思う。さらに、自分の魅力をきちんと引き受けている人だとも思う。

 

「魅力とは、誰かに褒められるためではなく、見せつけるためにあるものでもなく、人生や社会をよりよくしていくためのヒューマンスキル」と本書の最後にある。実に賛成。

 

自分を周りの人に受け入れてもらう力である魅力だけれど、やはり本質は自分を慈しむことだろうし、そのことで自分が輝けば社会が輝く。

 

繰り返しになるが、『魅力の正体』が、多くの人に自分の魅力をちゃんと知るきっかけを与えて、自信につながり、自分を慈しめる人を増やす手助けになればいいなと思う。

 

『魅力の正体』池原真佐子さん(大和書房)。 

自信と望むキャリアを手に入れる 魅力の正体 ~コンプレックスを強みに変える実践的レッスン~

自信と望むキャリアを手に入れる 魅力の正体 ~コンプレックスを強みに変える実践的レッスン~

 

 

プレミアムフライデープロボノはいかが?

今週金曜日はまたプレミアムフライデーだそうで、そろそろ定着しつつあるのかな、先細らないで広がっていくといいな、とは思う。

 

ただプレミアムフライデーについて少し違和感があって、それは消費(買って費やすただの消費)にばかり結び付けられている気がするところ。

 

会社を早く上がれるんだから、地域のコミュニティとか、興味ある分野の社会活動とかに参加すればいいのに、もったいないな、と思ってしまう。

 

せっかくの自分の時間を、消費することに消費してしまうことはなんか悲しい。

 

もっと資産(お金ではなく、新しい経験や視点や気づきや、人とのつながりといったソーシャルキャピタル)を増やせるいい機会なのに。月イチでもいいので、そんなソーシャルキャピタルを増やす時間に、月末の金曜日をあてれば面白いだろうになと思う。

 

プレミアムフライデープロボノ、とでもいいましょうか。

 

企業(プレミアムフライデーを取り入れているような会社は現状大企業が多いと思う)でのビジネス経験を豊富に持つ人が、月イチでNPOなどの活動をモニタリングしてアドバイスして、一緒に実行策考えて、ちょっと実務やってくれるとか、すごくNPO側にとっても有難いと思う。あと、キャリア教育的な観点で広い年齢の学生と接してフラットに話すとか。

 

そんな場と機会がもっとあって、プレミアムフライデープロボノが増えるといいなと思う。

 

ソーシャルセクターも人材不足のくせにこういった流動的な人的資源を集めるのがまだ下手かもしれない。月末金曜の夕方からカジュアルなプロボノ説明会やったり、オープンオフィスやりつつ事業相談やったり、軽く参加できるボランティア業務&交流会とかどんどんやってもいいのに。

 

実はけっこうやってるのかな??あまりないなら、そんなプレミアムフライデープロボノ増加企画プロデュースしてみたいな。。

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耽典籍:潜在化してこびりついたジェンダーギャップ解消のために。『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(河出書房新社)

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ナイジェリアの作家、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェのTEDxトークにもとづく本書は、ジェンダーによる差別が横行する社会より、それが潜在化してこびりついてしまった社会により意味を持つ。

 

ジェンダーギャップ指数が世界111位の日本のような。

 

社会で主張できていると思っている女性でも、またそれに協力的だと思っている男性や組織でも、意外と多くの足枷を残したままであることは、ギンカ・トーゲル著『女性が管理職になったら読む本 ―「キャリア」と「自分らしさ」を両立させる方法』などにデータとして詳しいけれど、本書もそれと同様のことを平易なエピソードで伝える。

 

陥穽があるのだろう。表面的な女性差別は少ない。頑張っている女性も目につく。社会もそれを支援する風潮もある。だからそれでいいと思ってしまい、小手先で満足してしまって、みなジェンダーギャップの根にまで目を向けないですましがち。

 

自戒があって、マタハラnetさんの研修で6人組くらいのテーブルに分かれてディスカッションをした後で、各テーブルをリードしたファシリテーターは誰だったか手を挙げさせられたら全テーブル男性だった。僕も手を挙げた一人。

 

マタハラnetさんに来るくらいなので、ジェンダーについて意識的な男性たちである。そして参加していた女性たちも仕事ではリーダーを務める方たちが多かった。にもかかわらず、テーブルでリーダーをと言われるとごく自然に女性が遠慮がちになり、男性がでは私が、、と引き受けたことになる。

 

ジェンダーギャップの根は深いというか、ほんと潜在化してこびりついてるなぁと思った。

 

「(女性が社会で認められるのが)難しいんだってのがよくわからないな。むかしはそうだったかもしれないけれど、いまは違う。いまじゃ女性にとっては何もかも申し分ないじゃないか」と、聡明で進歩的な知人でもそういう思考停止なことを言ったと本書にあるが、気を付けなければ。

 

思うのだけれど、「私は女性の味方ですよ」とか言う人ほど、自分たちが受け入れやすい範囲でのみ女性の地歩を認めて、結局はジェンダー差をより潜在的に固着させようとするやっかいな敵だったりするんじゃないのかな、、とか。ちょっと滅裂だけれど、本書を読みつつそんなことを考えた。

 

一番なるほどと思ったのが、男性について。

 

男の子の育て方では、「男の子の人間性を抑圧しているのです。私たちは男らしさを「とても」狭い意味に考えています。男らしさが固い小さな檻になって、この檻のなかに男の子を閉じ込めているのです」。そのことで「彼らに「極めて」脆いエゴをもたせてしまう」。

 

これは田中俊之先生による「男性学」の領域で、いわゆる「男はつらいよ」問題が挙げられている。男らしさというマッチョイズムの檻に自らを当てはめようとして、自殺率を高める男性の姿が描かれている。日本でもナイジェリアでも同じなんだなと思った。

 

ユニークなのはその後。「そうしておいて女の子には、もっと甚大な危害を加えています。男のその脆いエゴの欲求を満たしてやれと彼女たちを育てるのですから」。

 

男はつらいよ」問題についてはいろいろと考えながら、それが女性への抑圧とどう連動するのかはほとんど考えてこなかったので(ただ単に僕の思考力が貧相なだけだろうが)、これは目鱗だった。

 

「男らしさ」という檻に押し込められた男性の自我のゆがみが、女性への抑圧を引き起こすというのは確かにと思いいたることがある。それでは、やっぱり「男性学」アプローチはすごく大事なのかなと思うし、男性側からやれることは数多い。

 

潜在化してこびりついたジェンダーギャップ解消のために、「男らしさ」をどこまで解消できるのか、取り組んでみても面白そう。

 

最後に、タイトルが「男も女も~」となっていることが気にくわない、という人がいるだろう。英語タイトルは『We Should All Be Feminists』なので、男も女もない。まあ日本語題としてキャッチーにしないとという配慮なので、理解したい。

 

大事なのは本書内でしっかり、性別は関係ない、「ジェンダーについては今日だって問題があるよね、だから改善しなきゃね、もっと良くしなきゃ」という人がフェミニストだ、そしてそれはみんなじゃなきゃ、と書いてあることで、男だ女だを超えた人間を見据えているのだなとわかる。

 

チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの小説、買ったけど読んでないんだよね、読まないと。。

 

『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(河出書房新社)。

 

男も女もみんなフェミニストでなきゃ

男も女もみんなフェミニストでなきゃ