余は如何にしてエシカルの徒となりし乎 ~FairTrade Drippack Projectの話/EDAYA前夜~
学生のみんなと活動する理由を問われれば、それは彼女/彼らが社会の変化を敏感に感じとり、体現しようとするからに他ならない。時に突飛でもあるその着眼を聞かせてもらい、どう社会に根付くかを一緒に考え、実行することで、僕は常に蒙を啓かれる。
次の次の世の中がどうなるのかの兆しを知り、その社会に向けて歩みださせてもらえるメリットは得難く、学生のみんなの相談話がどれほど荒唐無稽だったとしても、大いに費用対効果のある時間の使い方だと思う。(ちなみに、今まで最も荒唐無稽な話をしてハートに火をつけてくれた学生は、某メロンパンでコンゴにアプローチしようとする御方だった)
2012年も暮れが近づく、寒い朝。知り合いの学生団体の代表が、「紹介して、相談にのってもらいたい学生がいる」といって連れてきたのが、学生団体FairTrade Drippack Project(通称ドリプロ)の副代表だった。ラオスからフェアトレードのコーヒーを仕入れて焙煎し、販売しているという。
運命とはわからないもので、この朝の来訪が僕の人生も大きく変えたことになる。
フェアトレードのコーヒーをどう営業していったらいいか、という相談だった。じゃあロットは、在庫は、値入率はとか、提案資料についてとか、テレアポについてとか、営業的な話もしたものの、なんかそういうことでドリプロのみんなが求めるものに応えることはできないなぁ、目指すものに近づいてはいないなぁ・・・と感じた。
大体、フェアトレードってなんやねん、と思った。
言葉では、フェアトレードを知っていた。商品も買ったことがある。でも、それに関わる人が何を大切にしているのか、どう活動しているのか、社会をどうしたいと思っているのか、全然知らなかった。なんで学生のみんなが、フェアトレードというものに一生懸命取り組もうとしているのかなんて分からなかった。
こりゃいかんなぁという反省と、この動きは今後の社会の潮流になるかもという予感から、フェアトレードに首を突っ込んでみたいと思った。
僕の師匠は、カンボジア和平の頃から国連の明石さんなどともに認定NPO法人日本紛争予防センター(JCCP)で活動していた人だったが、同団体の理事にU理論で有名な中土井さんという方がいた。師匠から教えられて、僕はU理論を学びたくて何度か研修に参加していたが、ちょうど中土井さんが大崎のパタゴニアでPeople Treeのサフィア・ミニーさんをよんでダイアローグイベントを行うことを知り、これだ!と膝を打って参加した。
パタゴニアで聞いたサフィアさんの話は衝撃が大きかった。というか、日々の暮らしのなかから社会にどうにかアプローチしたいというサフィアさんの苦闘に胸が苦しかった。末吉里花さんを知ったのもそのイベントで、素敵な詩を読んでくださった。
フェアトレードというものは、私が生きることが社会とつながっていることなんだと認識すること。私と、社会に生きるその他のみんなを対等に置くこと。そんな考えなんじゃないかな、と思った。学生のみんなは、そんな社会の兆しを感じて、フェアトレードサークルに入るのかな、と思った。
で、あれば、ドリプロに協力するために必要なのはテレアポの仕方ではない。フェアトレードの考え方を、社会の見方を、もっと当たり前なことにすることだろう。
2013年になった。
HASUNAの白木夏子さんがエシカルジュエリーという言葉とともに、いくつかの記事に取り上げられた。そして、ナナロク社さんから本を出すということを知った。これだ、と思った。
幸いにして、紀伊国屋書店新宿南店さんと親しくさせてただいていた。大学同級生であるユーグレナ出雲氏の出版記念講演を、学生団体主催で開催させていただいたご縁。講演を取り仕切ってくれたのはソーシャルの本棚というコーナーの担当者だったが、その方も大学の後輩でクラスもお隣だった。入ってよかった東大。中退したけど。
紀伊国屋書店新宿南店と連絡をとり、白木さんの本の出版記念として、ドリプロ主催でドリプロのみんなと白木さんの対談イベントをさせていただくことになった。これで、エシカルとかフェアトレードの認知度向上にも少しはつながるし、そんな活動に興味がある人にドリプロを知ってもらえる。ドリプロとしても、学生たちに向けた活動を行っているのではなく、広く社会に向けて自分たちの存在をアピールしていくきっかけになる。
イベントは4月開催となり、僕は白木さんともお会いし、HASUNAの本店(外苑前にあった素敵な旧本店)でHASUNAのみなさんと打ち合わせをしたり、『世界と、いっしょに輝く ―エシカルジュエリーブランドHASUNAの仕事』 という美しい本をつくったナナロク社さんを訪れたりして、準備を進めた。
が、困ったことがあった。ドリプロの学生と白木さんの顔合わせができない。まあ、対談なんて当日の調整で全然OKなのだが、それにしても礼儀上挨拶はしておく必要があると思った。
もう一つ。エシカルという言葉について。感覚的にはよくわかったが、でも掴みづらい。フェアトレードとの違いとかも。エシカルについても、もうちょっといろいろな人の話を聞いておく必要を感じた。
そんな困りごとを一挙に解決できる機会が訪れる。2013年3月24日、 ETHICAL FASHION JAPANさんの1周年イベントである、「エシカルショッピングナイト」。
今考えるとスゴいイベントで、エシカルファッションの関係者が一堂に揃っていた。ほんと、みんないた。そこにドリプロの学生と行って、ブースをだしていたHASUNAの白木さんに挨拶をして打ち合わせしちゃえばいい。ついでに、いろいろなエシカルブランドから話を聞けばいいと思った。
僕には、どうしても聞きたいことがあった。キャリアとか人事・HRの仕事が本業なのだが、フェアトレードを知るうちに、「労働市場のフェアトレード」というのはあり得るのか、それはどんなものかを考えていて、エシカル・フェアトレードの関係者に意見を聞きたかった。
そんな計画で、「エシカルショッピングナイト」に参加した。無事に白木さんとの話も済んで、いろいろなブランドの話も聞いて、存分に楽しんでいた。何人かに「労働市場のフェアトレードって、あり得ますかね?」と聞いたが、あまりコレという回答はなかったものの、実に実にエキサイティングなイベントだった。(オルタナS池田さんの記事参照)
気づけば、妙なブースが一つあった。HASUNAの隣。変な形の竹製品を置いている。他のブランドは何人かスタッフがいて、ちょっとキラキラした感じなのに、そのブースは一人しかいなくて、茶色い竹が置いてある。
よく分からん。
魔が差してブースに行き、一人店番をしていた方にブランドの話を聞き、さらに分からなくなったものの代表は大学の後輩らしく(入ってよかった東大。中退したけど。)、ためしに店番の方に「労働市場のフェアトレードって、あり得ますかね?」と聞いた。答えは、「これから来る代表の山下さんなら答えられると思います」というものだった。そして衝撃の一言、「もう少しすれば、山下さんと首狩り族の人がきて鼻笛を吹くので待っていてください」。
EDAYAプロボノ1号肥留川さんがこんなことを言ったせいで僕は山下彩香という人に会い、「労働市場のフェアトレードって、あり得ますかね?」という問いに答えをもらった。
FairTrade Drippack Projectのみんなと知り合わなかったら、僕はエシカルに興味をもつこともなく、EDAYAを知ることもなかった。その点で、恩義は計り知れないと思っている。
だから学生団体として代替わりしようとも、折々で一緒にイベントをさせてもらっているし、とても大事に思っている。エシカルペイフォワードをはじめたときも、ドリプロのコーヒーを扱いたいなと思い、実際に店舗とECに置けることになった。
そして10月30日には、またイベントを行ってもらえる。毎年毎年、こうやって一緒に何かができるというのは本当に幸せだよ。
10/30(日)Link Project Vol.62 フェアトレードを乗り超えるサステナブルな環境、食、農を求めて
僕がドリプロによって新しい世界に導かれたように、イベントに参加した人に何かのきっかけがあるといいな。
その後の話。HASUNA白木さんとドリプロの対談イベントは、かなりの聴衆がきて大成功だった。僕はイベント全体を見ながら一つの決断をする。当時は会社を経営していた。友人と起業して、偉そうに専務をやっていたけど、この会社をたたむことにした。
そして人事として企業に入りつつ、学生たちと社会事業をしようと決心した。パラレルキャリアだよ、これからはと思った。
加えて、ドリプロに受けた恩というのはこれだけではない。例えば、櫻井秋那さんというメンバーがおり、彼女のおかげで僕はR ethicalさんを知り、そしてMaiteの吉田彩子さんとお会いした。櫻井さんに言われて、国立までMaiteの展示を見に行って、吉田さんに会った。販売スタッフとして、エシカルブランドに関わることも教えてくれた。櫻井さんは、「エシカルを教えてくれた女性」とも言える。
ドリプロによってフェアトレードやエシカルを知り、EDAYAと出会って、パラレルキャリアがスタートするわけだけど、そこから今日までの道程は、また別の話。
Our Leader
僕ほど、山下彩香という人を揶揄する者もいないと思う。
日本発、アジアから事業を興した女性として各処で敬意を払われたとしても、ビジョナリーらしい穴ぼこだらけの人物で、近侍する僕としては雑言の止む間もない。
山下さんは何故かキャリアについての取材が多いが、人事・HRを仕事とする僕に言わせれば、大学院をでて勢いで起業して蛇行を続けている人に、聞いて参考となるキャリアがあるとは思えない。キャリアについて話す方も、聞く方もどうかしている。詐欺じみてる。学生諸氏には、真に受けて人生の指針としたら身を誤るので気を付けろと言いたい。
そんな雑言を吐き続けながら、もう4年間、山下さんを代表として戴いたEDAYAの一員をしている。
僕は独立不羈かつ表裏比興を旨とするので、誰かの下に長く留まることが出来難い。が、4年。リーダーと目した人、仕えた人の中では最長かもしれない。
山下さんの凄味はここにあると思う。
カネもない。場所もない。仕事も右往左往。ゴールは彼方。苦労と困惑は山積。そんなプロジェクトに、多くのメンバーを巻き込み、それぞれのビジョンとキャリアを育てることを、国境も言葉も超えて、山下さんは成している。だからこそ僕も4年、サーバント役を務め続け、学び続け、なおも飽きることはない。
キャリアは一人で作るものではない。関わる人たちと一緒に、その轍を刻むものであろう。山下彩香という人に会うことがあれば、メンバーのビジョンとキャリアを育てる契機をまき散らしながら、自身のビジョンをキャリアも育てるリーダーシップの一端を見てほしいと思う。それに触れてもらうことが、若い人への一番の教育だと思う。
2016年は、日本側のEDAYAとしては停滞の年だった。僕も大したパフォーマンスを行えなかった。でも停滞は停滞でよいと思う。走るなかで縺れたものを鎮静化し、次の手を打つことができればいい。
気が早いが2017年のEDAYAは、より多くの仲間のビジョンとキャリアが育つ場としたいと、徒然に。
あぁボブ・ディラン、、。アメリカ文学はまたもノーベル賞を逃したのか?
ボブ・ディランがノーベル文学賞をとったけど、それに驚きの声があがっていることに、僕は驚いている。
ノーベル文学賞の有力候補として以前から挙がり続け、今年は、今年はと噂をされていたボブ・ディランが受賞したところで、リストの上のほうの名前が順当に選ばれた感じで、むしろ普通すぎて面白味がない。
・・と斜にかまえてしまうのは、僕は大学でノーベル文学賞の研究をしかけていたし、文学を離れた後も毎年10月第3週が近づくと予想をたて、受賞作家が発表されれば書店に走る生活を送っているから。
詩人ボブ・ディランがノーベル文学賞の有力候補だったということを、多くの人が知らなかったことは当然で、健全で、ミュージシャンボブ・ディランのライトファンを中心に驚きと歓喜があがるのも当然で、健全。
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僕が驚いた、というか嘆息したのは、アメリカ文学の位置づけについて。
アメリカ文学は、もう何年もノーベル文学賞を受けていない。今回、賞がアメリカ(というか、USA)に来たものの、ザ・アメリカ文学という作家ではなくボブ・ディランという変化球に渡ってしまったことで、ますますノーベル賞が遠いという印象を受けた。
あぁボブ・ディランかよ、、。アメリカ文学はまたもノーベル賞を逃したのか?みたいな。
ノーベル文学賞はある程度、地域巡回をしている。ヨーロッパ中央(仏・独・英・伊・西・北欧など)、ヨーロッパ周辺、南米、北米、アフリカ、アジアみたいな地域分けで、それぞれ3:2:1.5:1:1:1みたいな受賞比率。2010年代だと、リョサ(南米)→トランストロンメル(ヨーロッパ中央)→莫言(アジア)→マンロー(北米)→モディアノ(ヨーロッパ中央)→アレクシェービッチ(ヨーロッパ周辺)と来ていた。
そろそろアフリカかな、あとは中東とか諸島部とかの変わり種が来るかなとか考えていた。シリアの詩人アドニスとかどうよとか。
同時に、長くアメリカ文学が受賞していないので、アメリカの大物作家に渡るものいいなぁと思っていた。有力候補の常連、ドン・デリーロ、リチャード・パワーズ、ジョイス・キャロル・オーツ、フィリップ・ロス・・。
93年のトニ・モリスン以来の無冠を何とかしてほしい。胃もたれするような大著を繰り出すザ・アメリカ文学をガラパゴス化させようとしないでほしい、という文学ファンの願い。
で、、、結局ボブ・ディラン。嘆息。
アメリカの作家協会か何かと、ノーベル委員会(スウェーデンアカデミー)が仲が悪いとか、アメリカ側がちゃんと自国の作家を推薦しないとか、事情はあるみたいだけど、、文学の未来のためにはアメリカ文学作家を評価しましょうよ、、と思う。
今年、『ターミナルから荒地へ』という優れたアメリカ文学評論集が出た。副題が『「アメリカ」なき時代のアメリカ文学』。世界のスーパーパワーとしてのアメリカという虚象が崩れている中で、アメリカ性をテーマとした大著(白鯨みたいな)をなすことがステータス化してきたアメリカ文学はどこへ向かうか、という実に面白い本だった。
アメリカ文学が今まさに変容の時期なのだとしたら、ノーベル賞がアメリカ文学に渡るのはもう少し先になるのか、どうか。。
最後に。1998年、大学1年生のときに周囲に「村上春樹はノーベル賞をとるよ!」と力説してたらすっっっごいバカにされた。マジでバカにされた。悔しかったので忘れないのだ。。
メコンブルーとシュポール/シュルファス
昔つきあった女の子は、テキスタイルを学ぶ美大生だった。
つきあいはじめの頃、東京都現代美術館でひらかれた『シュポール/シュルファス展』(正式名『ポンピドゥー・コレクションによるシュポール/シュルファスの時代 : ニース〜パリ 絵画の革命 1966〜1979』)を見に行った。60~70年代芸術運動の回顧展。
その中に、大きなテキスタイル数枚を天井から吊るした作品があった。布地に、間隔をあけながら多色の横縞が走っている。作品名は「Penelope(ペーネロペー)」とあった。
僕はこの作品に圧倒された。
現代文学を学ぶ文学徒だった僕は、作品がなぜ「ペーネロペー」なのかすぐにわかった。ペーネロペーは『オデュッセイア』 に出てくる、オデュッセウスの妻。オデュッセウスが彷徨の旅を続ける間、幾日夜の時を過ごし、数多の男たちの求婚を退け、織物を織っては解いて夫を待ち続けたペーネロペーの時間そのものが、作品になっていた。
天井から吊るされたテキスタイルは、時のしじまに見るものを押し流していきそうで、無言で立ちすくむしかなかった。
『オデュッセイア』を読んだことのない彼女は、作り手の視点で「これ何の糸かな?どうやって染めたのかな?」と話していた。僕はペーネロペーの時間に流されてしまわないように彼女の手を握り、「・・テキスタイルって凄いね。」と言った。
テキスタイルは凄い。布一枚が物語をもつ。そんなテキスタイルを造形として、身にまとうのがファッションである。ゆえにファッションは面白い。
メコンブルーの話。
メコンブルーのシルクストールほど、雄弁なテキスタイルの凄さを楽しめる商品はない。(いや実際には他にもあるけど、メコンブルーはトップブランドに比肩している。)
その雄弁さは、読み書きができないカンボジア農村部の女性たちが、チャンタさんという方を中心に最高級の美しいシルクストールを織るという背景によるものではない。もちろん、いわゆるエシカルファッション的な背景のストーリーも素晴らしいけど、雄弁なのはテキスタイルそのもの。
ブランド名の通り、メコン川の折々を想起させる青、蒼、碧、藍、紫、灰、墨・・。川の周りの木々や陽光、土や空気を感じる色たち。メコンブルーのシルクストールにも、時のしじまが織り込まれ、加えて自然の移ろいが染められている。
圧巻なのは、Jazzと名付けられた茜色の一枚で、メコン川の水面に映りたゆたう夕陽の色を織り込んでいて、見るたびにため息をついてしまう。
http://mekongblue.shop-pro.jp/?pid=79408839
そんなメコンブルーさんと僕の関わるEDAYAは、1年くらい同じ建物にオフィスを置いていたのだ。(というかメコンブルーさんが入居していた建物にEDAYAも入って、先に出た。)代表の高橋邦之さんも、その他のプロボノの皆さんも、楽しい&心強い仲間たちだと思っている。
なんだか高橋さんがバタバタされて、「この冬はメコンブルーのシルクストールを買って、おしゃれに過ごそう」キャンペーンみたいな感じになっているので、すかさず懐かしのオフィスに駆けつけて、僕も1枚買ってきた。
水面みたい、と感じる翳をもつ青でありながら、角度を変えると紅が透けるKhmer Flower Ruby。首に巻いて、多彩な色移りを見ながら、これはどんな時の水面なんだろうと思いはせるのが楽しい。テキスタイルって凄いなぁ、、と改めて思う。
http://mekongblue.shop-pro.jp/?pid=90869902
と、いうわけで大好きなメコンブルーさん、高橋さんの応援のための宣伝なのですが、販売サイトを見てこれほしいと思った方、商品を見てみたい(見ると凄さはわかる)と思った方など、ECでの決済ではなく直接高橋さんにご連絡ください(で、いいんでしょうか?)。
この冬は、身近な人がみんなメコンブルーのストールしているようになる気が・・する。
丁寧な人、エシカルペイフォワード沼田桜子さん
丁寧について考える。
丁寧とは、小さなことでも一つ一つゆるがせにしないことかと思う。表面的な礼儀ではなく、他者や自分についても、物についても、行いについても、自然環境についても、それぞれを敬うように思いやることではないかと思う。
それは、エシカルという考え方につながる。
選ぶ商品について、人との関わりについて、暮らしについて、小さなことでも一つ一つゆるがせにせず、思いやる。もの・ことが、どこの誰の手から届いたか、それをいかに善く活かせるか、どこの誰の手に受け取られていくのか、時間的・空間的つながりに思いを致す丁寧さは、まさにエシカルといえるんじゃないかな。
先日、いくつかのエシカルブランドの新商品を見て、「ああ、丁寧な品だなぁ・・」と感じてから、そんなことを考えていた。日本語が分かる人なら誰もが知る丁寧という言葉について、生まれて初めて丁寧に考えてみた時間だった。
では「丁寧な人」というと誰かな・・と考えたとき、浮かんだのはエシカルペイフォワードの女将(?)である沼田桜子さん。
そもそも、エシカルペイフォワードのコンセプトは沼田さんの丁寧さが凝縮されたものといっていい。人や自然や地域にとってやさしい、丁寧なものであるエシカル商品を集めること。さらにそれを、相手を思いやって選び買う、渡すときを考える、贈る、という丁寧な行いを生むギフトという切り口にすること。そんな企画を考え運営している沼田さんの丁寧指数は大したものだと思う。
彼女の本業は、「食」にかかわるお仕事である。「食」は言うまでもなく、誰もが日々接し続ける小さな、しかし時間的・空間的には大きなつながりを生むもの・こと。そんな仕事をもつあたりも、「丁寧な人」らしい。
何といっても、沼田さんは人への接し方が丁寧だ。僕なぞが垂れ流すつまらぬ雑言も、ちゃんと聞こうとしてくれる。そして、エシカルペイフォワードに関わる他のみんなやブランドの皆さん、お客さんに対しても、小さなことに感謝したり、感銘をうけたり、驚いたり、思いやったりしている。なかなか出来ることじゃない。
沼田さんがどうして「丁寧な人」になったのか、丁寧じゃない僕はけっこう不思議だったりするのだが、そんな来歴はいつか聞いてみたいものです。
「丁寧な人」の弱点は、おそらく自縄自縛になることではないか。慌ただしさや何やで丁寧ではいられないことが続くと、そのことがストレスになるんじゃないか。丁寧じゃない人には計れない、長所が自分を縛るストレス。
下手するとそんなストレスとも丁寧に付き合おうとしかねないので、ユーモアを身にまとって適当にやり過ごせばいいんじゃないかなと、僕は勝手ながら思っている。
ちなみに先日、沼田さんは誕生日を迎えた。何か年齢にちなんだプレゼントを贈りたいなと思って考えて考えて・・、僕は「肉味噌」を献上しました。「2930」だからね。(ハラスメントじゃなくてユーモアだから・・)
「丁寧な人」沼田さんが女将として引っ張るエシカルペイフォワードも、秋冬に向けて商品も入れ替え、お店のレイアウトも変えて、ECも見やすくしてお客さんがより丁寧に商品を選べる工夫を続けています。僕は露店販売担当だけど、これからギフトシーズンも迎えるし、がんばって多くのひとに丁寧さを届けたいものです。
全員がマイノリティというダイバーシティ:「EDAYAの魅力のひみつ」について
EDAYAのインターンとしてフィリピンに行っていた石川さんが感じた「EDAYAの魅力のひみつ」。正鵠を射ていて、よく見てきてくれたなぁと嬉しい。(ありがとう!)
あえて、,僕たちは(少なくとも僕は)もう一歩先を見たいんだという点。
「3.主役は、マジョリティではなくマイノリティ」ということについて。マジョリティ/マイノリティと分け隔てたくはない。マジョリティなんて虚構で、一人ひとり個としてバラバラ。個ですら内面はバラバラでアイデンティティも虚構かもしれない。
全員がマイノリティという、ある種アナーキーな視点がEDAYAにはある。
いろいろな枠を一度崩した上で、一人の私として立つ選択をすることが、EDAYAのメッセージの一つであり、「魅力のひみつ」なんじゃないかと僕は思う。
ダイバーシティというのは、こっちに外国人、こっちにLGBTと、マイノリティを組み合わせたブロックではない。外なる多様性を集めるのではない。今いる人たちは全員バラバラに異なるという、内なる多様性を発露させることがダイバーシティなんじゃないか。
それにより、マジョリティという虚構は崩れる。全員バラバラになったアメーバ状のアナーキー社会で私として立つことは、相応の強さを必要とするだろう。その強さの顕れが「1.媚びない、アート」かもしれない。
人事・HRを本業としながら、EDAYAに関わるのはなぜかと問われることがある。でも、人事にとっても重要なダイバーシティ&インクルージョン(もしくはインテグリティ)の秘蹟が、EDAYAにはある。
僕にとっての「魅力のひみつ」はそこかな、なんて。
コオロギ戦記2016
【前回までのあらすじ】
時は2015年秋、I氏の暮らす新宿区某所の安アパート(でも築7年)の裏庭にはヘルヘイムの森の如くに草が生い茂り、コオロギたちが心安らかにコミューンを営んでいた。
ある日、剪定業者の魔手により無情にも草は跡形もなく刈り取られ、コオロギ達は安住の地を奪われる。故国を失ったコオロギ達はディアスポラと化し、安住の地を求めて隣接するI氏の安アパートへの侵略を開始する。
夜、帰宅したI氏は室内に黒い虫影を発見して戦慄するも、すぐに安堵する。Gかと思ったが、コオロギだと知れたためである。古来コオロギをペットとして飼うならいもあり、秋の虫の鳴き声を近くで聞けるのも風雅と感じた。が、誤りであった。
コオロギは、意外とうるさい。かなりの大音量で鳴き出す彼(オス)に辟易し、かつ布団脇で跳びはねられるのも気色悪く、I氏はコオロギの室外追放を企図する。そして失敗に終わる。雑誌でコオロギを追い立てるが、奴は左右にジグザグに跳梁して逃げる。やっと風呂場に追い詰めるが、ここから手づかみで捕まえて玄関より追放しようと試みて大いに空振りし、頭にきたI氏はシャワーで水責めをしてコオロギを殺害してしまう。
悲劇はここから始まる。
その夜、I氏の室内に侵入したコオロギは3匹であった。1匹は水死。1匹は玄関より追放となり生き延びる。そして1匹は、大捕り物の末に洗濯機の下に隠れるという自己防衛に出る。
コオロギを洗濯機の下に入れて鳴き声を聞いたことがあるだろうか。洗濯機というステレオを得たコオロギは、すごくうるさい。マジすさまじくうるさい。寝れない。ことここに至り、I氏のコオロギに対する敵意は確実なものとなり、共存、寛容、対話といった路線は失われ、殺戮の幕が開いたのであった。
幾たびかの侵略にI氏は翻弄されつつ、殺戮の罪を重ねて、2015年は暮れた。そして2016年・・・。
【前哨戦:ミント作戦】
コオロギ対策に余念のないI氏は、まずは裏庭でのコオロギ繁殖を防ぐべく、虫が嫌がる環境作りを試みる。すなわち、ミント栽培である。
世にミントテロという言葉があるように、ミントは繁殖が早い。そして虫が嫌がるハーブである。これを栽培すれば、コオロギの寄り付かない環境となるだろう。
が、この計画は失敗する。なんと2016年は剪定業者が8月初頭に草を伐採し、I氏が栽培を始めたミントも株のうちに刈られてしまったのである。無念。
【侵略1回戦:台風の遭遇戦】
2016年は台風の多い年である。暴風雨はコオロギだって避けたい。必然、室内侵略の動機も高まる。
9月20日の夕方、会社より外出していたところで台風による強制退社の指示が出され、I氏は閉め出しをくってしまう。やさぐれて帰宅したI氏を待っていたのは、2016年初のコオロギとの遭遇戦であった。
机の下で跳びはねるコオロギ(たぶんメス)に対して、容赦ない毒ガス攻撃を仕掛けて殺戮。その後さらに風呂場でもう1匹に遭遇し、得意の水責めで殺戮。1晩で2つの命を奪うという罪を重ねる。
【侵略2回戦:作戦名『かやり香 夕涼み』】
9月25日深夜。GEOにDVDを返すべく部屋を出たI氏の足元に激しくアタックをかます黒い影があり、I氏は驚いてドアに頭を打ちしゃがみこむ。そこで見たものは、虚をついた足元攻撃によってできた隙をつき部屋に侵入していくコオロギの姿であった。
慌てて室内に戻ったI氏は玄関先の箒で応戦。無事に水際での侵略防止に成功する。見ると、安アパートの廊下は複数匹のコオロギが跳びはねる百鬼夜行と化していた。。。
ここでI氏はかつてより準備していた化学兵器『かやり香 夕涼み』を取り出し、玄関・ガラス戸などの侵入口となる箇所に設置し、もくもくと炊き上げる作戦を開始する。これにより、虫の嫌がる煙、匂いなどを充満させ、いわば部屋に結界を張ろうという策である。
神楽坂で仕入れた化学兵器『かやり香 夕涼み』は自然素材の大変いい匂いで、少し炊く分には実に風流。好いものに違いない。しかし部屋の各所で一気に炊くという極端な暴挙に出たせいで、I氏はなんか目がしばしばして頭がくらくらしてきた。。
この状況を脱するには、空気の入れ替えという手段が必要なのだが、そうするとコオロギに向けて大きく侵入口を開けることになる。
さて、いかにすべきか。優柔不断の夜がふける。
・・・・To Be Continued