徒然妄念:「世界自殺予防デー」に、2016。
「誰もが生きにくい社会」をつくろう
37歳になりました。
見透かした娘がいたもので、誕生日の胸には一物あるだろうと、抱負は何かと尋ねてきたので、その回答も兼ねて。
「誰もが生きにくい社会」をつくるために、各活動をしたい。
あえて語弊のある表現をしている。丁寧にいえば「すべての人が、誰でも自分の生きにくさを表明できて、それを互いに受け止めて支えあえる社会」。刺激的に略して、「誰もが生きにくい社会」。
「誰もが生きやすい社会」に近づくといいな、とここ数年動き続けてきた。みんな何らかの「生きにくさ」=マイノリティ性を抱えている。その「生きにくさ」を、自身で肯定できて、周囲にも容認されれば、良い社会になると思う。それは間違っていないと思う。
でもそれで、「生きにくさ」は解消されるの?もともとの「生きにくさ」自体は、無くならないだろう。それはその人をつくるもの、一生つきあっていくものだ。むしろ、無くしてはいけない。人は自分の「生きにくさ」を、失ってはいけない。
それに、「誰もが生きやすい」なんて、安っぽい宗教みたい。みんな生きやすくてハッピーな社会なぞ、気持ち悪い。
生きることは大変だ(死んだって大変だと思うけど)。僕は若輩ながらそれなりに多くの人に会ってきた。お金持ちも、超絶頭がいい人も、カリスマ的な人も。寡聞にして、「いや~、世の中生きやすいわ。100%心安く生きてるわ~。」という声を聞かない。みんな生きていれば、何かしら「生きにくい」。
別に、生きにくくてもいいじゃん。
大事なことは「誰もが生きにくい」んだから、お互いの「生きにくさ」があるよねって認めあって、私の「生きにくさ」はこんなのですと話すことができて、なるほどって聞くことができて、受け止めあうことができることだと思う。
だから、「誰もが生きやすい社会」なんて浅いお題目は捨てて、「生きにくさ」を容認してその上に成る社会を目指せばいい。そんな「誰もが生きにくい社会」。
「互聴」という言葉を、先日お教えいただいた。
互いの「生きにくさ」=その人を成す特性を、聴きあえること。「誰もが生きにくい社会」には、基底となる人の業と思う。この互聴を、できる人がどれだけいるだろうか。互聴が行き渡る組織が、どれだけあるだろうか。
「誰もが生きにくい社会」に向けて、できることは沢山。ビジネスセクターでもソーシャルセクターでも、戦術・方法面でやりたいことが多い。自分たちは「生きやすい」マジョリティだと思っている人たちに、そうでもないぜと内側から楔を打つ、獅子身中の虫を増やす活動とか。
個人的に、2016年前半はあまり攻めなかった。やや惰性で動いていた。ので、後半は少し攻めよう、いくつか策を世に問いたいというのが、一応の抱負です。
具体的な施策については、おいおい。
余談ながら、この「生きにくさ」というのは大江健三郎の文学やそれが背景とするフォークナーやブレイクにいう「悲嘆(grief)」と同義なのではないか、などと考えている。
「悲嘆と無のあいだで、彼は悲嘆をとる(Yes, he thought, between grief and nothing I will take grief.)」というフォークナーの文節を大江健三郎の小説で読み、なんとなくわかったつもりでいたが、「生きにくさ」の自覚と、引き受けと、表明ということがここでなされているなら、それは真の自己肯定だろう、とか、そんなよしなしごとを思う。
耽典籍:見えないマイノリティが組み合わさり支えあう。『ジニのパズル』崔実(講談社)
『ジニのパズル』崔実(講談社)。
在日コリアンが主題ではなく、見えないマイノリティについて書かれた小説だと思った。
小説は、朝鮮学校に通う主人公が学校への違和感を深めていくうち、北朝鮮によるミサイル発射があり、チマチョゴリを着て登校していると暴行を受け、思い至り学内の金日成・正日の肖像を投げ捨てるという筋立て(雑な要約だけど)。朝鮮学校へ通う日々のリアリティが評価された作品と思うが、書きたいことはそこではない気がする。
冒頭の章が「そこに、いない」と題されていて、主人公が転校したアメリカの学校にいる普段は存在感がないのに突然暴れ出す、発達障害気味の生徒について触れる。次いで「靴」と題し、誰もが違う靴を履いている描写があり、続くのは聴覚障害を持った友人との対話。
在日コリアンというマイノリティ性が、相対化されている。
見えないマイノリティというのは、外観からはその人の特性がわからないマイノリティ性のあり方、と言ってよかろう。複雑な国籍だったり、LGBTだったり、聴覚障害だったり、発達障害気味だったり、病気に罹っていたり、トラウマを抱えていたりと、マイノリティとしてのあり方も一様ではないし、誰もが何らかの特性を持つと考えれば、あらゆる人が見えないマイノリティと言えるかもしれない。
そんなさまざまな見えないマイノリティが、互いを相対化しながら組み合わさって支えあって、というイメージを作者は伝えたいため、冒頭の50ページを置いたのではなかろうか、と思う。
題名にあるパズルというのも、その暗喩に思える。パズルのピースは、ばらばらな色・形をしている。それらが組み合わさり、面として互いを支えることで、ピース一つでは描けぬ絵ができる。
ダイバーシティ&インクルージョンというお題目をまた持ち出したくなってしまうが、ま、そういうことだろう。
小説で嫌悪されるのが、金日成・正日の肖像。これも、金体制への批判もあるだろうが、何らかの暗喩と思う。
ダイバーシティ云々という活動をしていて眉をひそめざるを得ないのは、マイノリティの中での同調圧力だったりする。女性活躍的な集まりでも、ときどき感じる。妙なキラキラをまとった同調圧力。
マイノリティ側だっていろ~んな人がいるし、誰もが見えないマイノリティ性を抱えるなら、それをくくるなんて不可能だ。
でも、マイノリティを糾合しようとする人はいるし、集めてワクにはめることで力にしようとする人だっている。
具体的には言わないが、マイノリティの集団で同調圧力を発揮する人が、それに従わない人に対して行うイジメを目にすることがあり、実に醜くて、かつウンザリする。
金日成・正日の肖像は、そんなマイノリティ内の同調圧力の暗喩ではないか。
最後に。小説は98年に北朝鮮がテポドンを発射したことにより、在日コリアンに対する風当たりが強くなりチマチョゴリを着ていた主人公が暴行を受けるが、当時のことをよく思い出させられた。
98年の数年前から、チマチョゴリを着た学生へのイタズラ、というより犯罪が横行していた。同じ塾に通っていた人が、刃物でチマチョゴリを切られたことがあった。学生に罵声を浴びせ、缶ビールを投げつけている人を見たこともあった。
何もできなかったが、はらわたが煮えくり返ったことは忘れない。
僕は新大久保に住んでいた。日本というより、アジアの街。コリアンタウンは、そのようなことをされた韓国・朝鮮の人たちの憤りが充満しているかに思うときがあった。
ちょうどフランスW杯の最終予選があり、日本と韓国が同じ組で、死闘を演じていた。国立で行われた日韓戦。街は戒厳令下のようだった。韓国が逆転勝ちした翌日は、占領下のようだった。
でも、日本が七転八倒してたどり着いた韓国での日韓戦で日本が逆転勝ちして、韓国も日本もW杯に行けるんじゃないかな、となったときの街の雰囲気は、一転して妙に温かくて、お互いがんばろうという声が聞こえた。とても嬉しかった。
ああ、新大久保はいい街だなぁ、と思った。今でも、あの多様性というより混沌といった方がいい街が好き。
まだ冬ソナブーム前。新大久保がいまのように観光化されておらず、裏道では麻薬とかが平気で売られていた20世紀末の話。
『買われた』子を包摂できる職場づくりを。「私たちは『買われた』展」
「私たちは『買われた』展」を見てきた。
仁藤さん、稲葉さん(Colaboの稲葉さん)のがんばりに頭が下がりつつ展示を見ていて感じたのは、「自分たちのことを知ってほしい」という声の切実さ。
「売春」を経験した子たちの、生い立ちや暮らしぶりや、そこへ至る経緯や、これからを語る声が数多く集められて展示されているが、「企画を知り、誰かに少しでも自分の境遇を知ってもらえたらと思って参加しました」というようなことを、何人かが書いていた。
マヌケかもしれないが、それを読んで「ああ、やっぱり知ってほしいんだ、じゃあ知らなくちゃ」と思った。
知られなければ、いないと同じ。いない存在として扱わないで、という切実な願いを感じたし、小さな声であろうその願いを拾い集めている仁藤さん、稲葉さんの地道な活動のたまものだとも思った。
思ったことはあと二つ。
声を寄せていた子たちは、家族になんらかのトラブルがある子が(やはり、とは言いたくないが)多い。でもだからといって、「やっぱり家庭が大事ですよね。両親揃っていないとね。ちゃんとした親の元で子供は育てないと。」みたいな発想をされたら、イヤだなぁと思う。
家制度の復権が大事、みたいに考える人がいたら、イヤだなぁ。
いいじゃん、一人親でも、親がいなくても、親がアル中でも犯罪者でも、外国籍でも同性婚でも。家族のあり方なんて、もっとバラバラでいいし、トラブルがあったっていい。どんな家族に産まれても、子どもが育つ中で、各ステージごとにその子が多様な選択肢を選べるような社会でありたい。
もう一つ。『買われた』という表現は、ちょっとした物議らしい。
選択肢は、とても大事。ある選択肢を知らなかったり、自分は選ぶことができないと思い込んでいたり、選んでも無駄と思ったり裏切られるから選ばない方がマシと思ったりして、人は選択肢を失っていく。そして残された選択肢を取る。
それは主体的に選んでいるようにも、見える。果たして・・。
働き方・就労の分野に関わっていると、この選択肢の問題はよく出くわす。(売春だって就労だ。)働く側と、働かせる側と働かせる社会がフェアトレードな関係では全くないとき、『買われた』という表現にならざるを得ないんじゃないかな、と思う。
展示会を見た後で、ご自身で何かできることはありますか?という質問がアンケートにあった。職場のダイバーシティ&インクルージョン、なんてことに関わっている身として、売春やさまざまな苦労を経た子が、少しづつでも足元を固めて階段を上って社会のなかで働こうとするときに、受け入れられる職場をもっと作りたいなと思い続けている。それは流通小売りや飲食などの現場であることが多いと思うけど、多様な背景(別に売春だけでない)を持つ人たちが安心して安定して働ける職場、『買われた』子を包摂できる職場は、きっともっと増やせる。
大学中退してニートもどきをやっていたけど、そんな背景を受け入れてくれてたくさんの階段をもらえた身としての恩送りを、そうやって果たしたい。
展覧会は今週末、21日までです。
江藤新平の逃亡路、宇和島から高知へ
旅行の目的が、その旅程であっても悪くはなかろう。
夏休みに高知に行く、と壮語していたが実のところ目的地は四万十の山中で、宇和島から行くルートがあることを知った。宇和島から、予土線というものに乗って四万十川沿いに高知に行く道程となる。
これは、江藤新平が落ち延びた道らしい。
肥 前の人として明治維新政府で司法卿を務め、卓抜した実務能力を持ちながら征韓論がらみで下野し、佐賀の乱を蜂起し敗れた江藤新平は、薩摩・鹿児島で西郷隆 盛に会い一縷の望みを絶たれた後、さらなる足掻きで大分から宇和島にわたり、四万十川沿いを土佐・高知にでたものの捕縛される。後は死刑、そして晒し首。
かつて大河ドラマ『翔ぶが如く』で隆大介が演じて知ってから、峻烈な実務の人という印象がある。司法卿という肩書がカッコよく、三権分立を取り入れようとしていたとか、汚職に厳しかったことなどからけっこう好き(事績を詳しく知らず、イメージ上好きな程度だが)だったが、最後が宇和島から高知に逃げたことは初めて知った。
土佐で最後の蜂起を狙ったのか、海からさらにどこかへ行くつもりだったか知らない。ただ、江藤新平という実務家が、あまり実務的ではない逃走のためにたどった落人の道に思いはせる旅程というのも、また風流といえよう。
戦争への皮肉:Re Fashion Asia- by Rebirth×EDAYA
その銃弾は人を殺さず、子供たちが想う友人の笑顔を伝え、古くより人々が心を寄せて描いてきた文化の文様を刻む。
それは、戦争に対する最大の皮肉だと思う。
憎しみと恐怖によって用いられ、生命を奪い、社会を毀すことを企図して銃弾を作った者たちは、それが鋳つぶされて、友に親しむ心や、先人に馳せる思いを形作るアクセサリーになって、優しさや自らを慈しむために用いられていると知れば、地団駄を踏むのではないか。
そんなことを、REBIRTHさんのアクセサリーを見ながら思った。
カンボジアの地に落ちている銃の薬莢を原材料に、クメール文化を引用しながら作られた小物たちは、人と人とが認め合わず争うことへ声高な異議を唱えずとも、文化とデザインの力を借りて社会への働きかけを行っている。
一人ひとりの持つ多様性、マイノリティ性をエンパワーメントしていくことを、工芸の技巧が凝らされたアクセサリーを通じて伝えようとするEDAYAのアプローチと、それは近しいのではないか、と感じた。
「Re Fashion Asia- by Rebirth×EDAYA」、明日までです。
展示会&トークイベント-Re Fashion Asia- by Rebirth×EDAYA
またその後も、水天宮前のエシカルペイフォワード店舗では両ブランドの商品を手に取って、購入することができます。
映画『ポバティー・インク』から思う「Why→How→What」のエンパワーメント
「魚を与えるんじゃなく、魚の釣り方を教えるんです」とドヤ顔で言われると腹が立つ。
第一、だいぶ手垢のついた表現だ。ドヤ顔で言うならそんなベタな骨董表現ではなく、もっと括目に値することを言ってほしい。
そして、いわゆる「Why、How、What」のHowまでしか言及してないんじゃないのと思う。魚の釣り方というHowを教わって、晴れの日も雨の日も魚を釣って、温暖化で海流が変わっても、海が干上がっても、放射能が流れてきても魚を釣って。で?
それはエンパワーメント?
援助じゃだめだ、産業を興さないとといって、受託ビジネスを根付かせることがある。雇用はたくさん産める。でもWhyは根付いているのか。委託先の事情が変わったら、どうなるのか。
フェアトレードやエシカルの文脈でも同じかも。そりゃ公正な対価を支払うだろう。でも(いわゆる)先進国でデザインして工程を決めて、(いわゆる)途上国で受託工場のようにそれを作って、先進国に納めて。Whyは根付いているのか。それを「途上国のお母さんたちが作っているんですよ」と美談めかしていいのか。
EDAYAの、というか山下彩香代表の問題意識はそういうところにあって、僕はそれを我流に解釈しているが、エンパワーメントとは「Why→How→What」の流れを自分で考え作る出せるように、契機を与え萌芽をさせること、なんだと思う。少なくともEDAYAのアプローチは、そういうものだと思う。
Whatだと魚をバラ撒けばいいし、Howも釣り方教室をひらいて釣り具を与えればいいけど、Whyとなると個々に事情が異なるし、伴走型になって時間もかかると思う。
でも人と真摯にかかわっていくなら、覚悟すべきことなんだと思う。途上国とか貧困とかマイノリティとかだけのことではなく。
アーヤ藍さんの計らいで、『ポバティー・インク』の試写を見て、日頃から考えていたそんな徒然を思った。映画は、Whatの寄付の弊害の話が多い気がした。
これもEDAYA的な考えだけど、社会に向けて何かを行おうとする時、マスを求めたがる傾向が、いろいろな歪みを産むのかも。
靴が何千人もの子に届きます。この仕組みで数万人の子が勉強できます。数十の村で水が飲め、何千人の人が喉を潤せます。
マスに届くアプローチは、インパクトはそりゃ大きいけど、雑駁なWhatのバラ撒きに陥りやすくないか。
さらにマスを目指す志向は、よりたくさんの対象に、もっと数を、という射幸心を掻き立てて、映画が批判するような支援者のための支援産業『ポバティー・インク』に至りやすい道ではないか。
「この取り組みは何人に届いているんですか?」「うーん、3人ですね。3人と10年つきあってます。」と答えても評価されるように、小さくても「Why→How→What」を根付かせることを奇貨とするように、なればいいのに。非生産的とか言わないで。
コンゴの元少年兵の方に、質問をする機会があった。「コンゴ民主共和国で暮らす人たちのために、何かを行いたい。どのようなことが望まれますか?」という問いに、「コンゴに行き、現地の人が自分たちの暮らしを良くするために何の活動をしようとしているのか知り、その活動に投資をしてサポートして欲しい」という答えだった。
現地に近い目でWhyが立ち上がるのを見つけて、Howになる辺りから伴走してサポートする、というのは、望ましい関わり方なのではないかと思う。
こういう関わり方を実践している友人も、実際にいる。
と、いうわけで『ポバティー・インク』とう映画は、コンゴ民主共和国とかかわる活動であるメロンパンフェスティバルの平井萌さん、牧野朋代さん、和泉大介くんには見てもらいたい、と思いました。
映画上映は8月6日からだそうです。